2010/05/10
そこそこじゃだめなのだ。抜きんでろとあたしは言い続ける。

月曜日は恒例の開かれた稽古場だった。コツコツと通い続けてきたM本が何年か前に旗揚げた劇団のワークショップオーディションに浮かれていたので、みっち り稽古をするぞと待ちかまえるも来なかった。諸般の事情で稽古に来られないことの連絡は貰っていたけど、抜けた。奇しくも道すがら、うちの音屋の相方と話 していたこと。今、関わっている主宰から優しくたしなめられた言葉。「思いは押しつけられない」あたしは思いを押しつけるので、一番近くの相方でさえ、時 に尻尾を巻く。でも、きっと押しつけなければ、伝わらない。芝居で革命は起こせないと鼻息荒くいくことだろう。
そして、稽古。今回は若手2名の特訓。まるで演技指導みたいな稽古はあたしに似合わないし、やりたくないので、この2人の才能をどこかしらから引っぱりだ そうと想っているのだ。それぞれの良さを引き立てて、それを活かすテクニックも磨かなければならない。そうなるといやだ、いやだと声を大にしている教える という作業をすることも必要になる。しかしだ、エチュード連発15にした。とにかく、降参させない、俎の鯉状態、火事場の馬鹿力状態のトランスに追い込む という方法。1時間かけて、エチュードを連発した。ダメだしをして、さらに連発。ダメだし、エチュード、ダメだし、エチュードを15本。
3本、まるでサムシェパードの1シーンのような秀逸なシーンができた。サムシェパードを知ってる?と訊くと映画が好きなはずのふたりがNOと答えた。読みなさい。
最後に今日のダメ、感触を活かして3分のシーン。まあまあ。HでもMケルも活き活きした顔をしていた。結局、ノックを繰り返して行く者は強い。
続いて愛憎3連発。愛情表現から憎悪の表現まで。結局、そこそこ、のことしかできない。それでは劇的ではない。細かくダメを出し、無対象行動の修正をして、3本。のつもりが納得できず、6本。掴んだことは忘れるな。
このところ力を入れている「闘争」
喧嘩場は形ではなく、息だ。役作りを入れてみる。鉄砲玉、親分。もっとやくざもの観て研究せんかい、と言う。
方言を持った役者Hでの関西弁、なぜかMケルの好きな広島弁。極めればいい。このところの闘争で気になっていた身体のこなしにダメを出す。次第に様になってきた。
演技指導はしない。表現が表現として成立するにはどうすればいいのか、伝わらなければ意味がないということをただただ、伝えた。
2人ともよく最後までやり続けた。これからだ。
そろそろ、募集もかけようと想っている。本物になりたい役者、求めて。
次回は5月17日月曜日
変態公民館 浅草橋 18時〜20時
アジドラの三上さん、おだんご美味しゅうございました。もう、いい。
心を静かにできるひとときを、あたし自身で抱きしめる。