2010/06/28
積み重ねる、積み重ねる。それしかないです。稽古日記。

今週も開かれた稽古場月曜日。動画を載せて日記を書こうと想ったので、遅くなってしまいごめん。来週から撮影に入るというYきは最終確認、Hろも時間を創ってはコツコツと続けている。Y子も渋い顔を見せながら、続くかな。
参加人数が少ない時は課題の焦点も合わせやすいし、丁寧な反復ができるので、しっかり掴んで帰ってほしいと想うものの、やはり稽古日記は書いて、再度稽古を想い出すことが大事。
参加者3名、見学3名。このところ、リオフェスが続いている6月、制作した座組はもちろん、他の座組の芝居を観たり、他の芝居を観たりすることで、やはり 考えるのは「劇的」とはなにかということ、芝居に限らず言える課題だろう。けれど、あたしは芝居における劇的とは何か?を追い求めていきたい。役者の表現 は劇的でなければならない。それを支えるものはリアリズムであると考えるが、リアリズム+αで「劇的」を探る。まずは劇的発声と表現のための課題。歩く中 で声を、言葉を飛ばし、反応していく。歩き、発語、反応、歩きの切り替えをはっきりさせること。Yき、Y子のふたりで。発語、想像の切り替えがうまくいか ず、連続した会話になってしまう。表現としての身体を取り入れていく。Y子の身体が全然動いていかない。アドバイスをすればするほど、動くのは思考になる という悪循環。反対にYきは身体で表現していくことにかなり積極的、ただ切り替えがうまくいかないので、アドバイスする。すべてを叶えてほしいのだ。発語 と身体表現がもっと連動していくと観客にとっての違和感がなくなる。奇を衒うのではない、Yきのキャラクターの面白さまであと一歩。Y子は意外と頑固だ。 理解は必要だが、まず感じることだと想う。決して優等生的、正解なんてものはないわけで、そこにほしいのは独創性だ。感じて、動いてみることだ。Hろが到 着したので、再度説明をする。Hろが続けてきたことでとても柔軟になり、YきとHろの丁々発止は見事な笑いを誘った。真剣にやればやるほど、笑える。これ はいわば「劇的」の出発点ではないか。完全にY子が絡み合えなくなる。ここに怯まず、絡んでいけるといいのだけれど。Hろはお調子に乗ると失速していく。 ただ、アドバイスすると修正ができるのが進歩。
声、劇的な空間には呼吸と声が必須。声の強化にまた着目している。歩行から脱力、発声。声の受け渡し5巡。ほっておいたら7巡までするので、止める。笑。 Yきの発声頭の力みがどうしても取れない。Hろはいい声になってきた。Y子の声創りにはまだ時間がかかる。自主発声をして下さい。
大破滅。初挑戦のY子にも説明する。身体の緊張、弛緩を声に連動させる、感情に連動させるための課題。ここでも表現を念頭に置いている。Hろはいい。身体 能力の高さをもっと活かしたく、これが感情に連動していけるといい。Y子にカウントがわからないと言われる。確かに・・ただ、これはカウントで計れないこ となのだが、まずはカウントでかまわないと想い、カウントを修正した。息づかいの変化、声の、身体の変化は規則ではないものであるから、「劇的」になって いくのだが。
大破滅を掴んだところで、声の増殖。息から声を増殖させていく。最後は大破滅に繋げてほしいと要求して開始。Yきは身体と声が連動していかない。声に身体 が伴えればいいと感じた。Y子はすべてにストッパーがかかるので、まずはこれを外さなければね。Hろ、とてもよかったが、未だ声のボリュームが足りない。 と想っていたら、最後に声を失う。む〜。最後は大破滅に持ってはいけたが、違ったね。残念。
続いて感情の訓練。強い怒り。怒りを産むために想像する。怒りをぶつける。シーンにしていく。怒りがぶつかりあうが、その怒りの原因は三人三様であるとい うこと。怒りに怒りが重なるのか、怒りがただぶつかりあうのか、ぶつかった途端に濁るのはいただけない。Hろは感情を常に持ち続けることができるように なってきた。いいことだ。Y子は感情を創ることはいいが、それをシーンや言葉に繋げたり、相手への反応となるとできない。ひとりよがりにならず、相手に反 応するということ、相手を感じるということは芝居を劇的にする大事なこと。稽古を重ねるしかない。
さらに実感の訓練。痛み。殺される。殺されることに対する身体的痛み、精神的、感情的痛み。3連発。1回ごとにアドバイスをしていく。
どうしても型になってしまうHろにアドバイス。痛みを実感すること、想像しかない。殺されたことはないのだから。痛みを実感しようとすると表現していたこ とがすべて消えてしまい、それではつまらない。息や声、表情、身体の反応、Yきにはそれらすべてを要求する。目が変わっていくような、綿密な実感をしてほ しい。Y子、ひとりで何かをやるとなかなかよい表情が出てくる。魅せるということではよいのだが、その実、中身が伴っていない部分も多い。やはり実感をい かに埋めていくかだと想う。
殺される〜発狂〜死まで。一連の実感の中に発狂を表現していくことをアドバイスする。死に様も表現と捉えてもよいのではないか。
発狂のリミッターが低かった。
次は泥酔者の吹きだまり。これは参加してみる。泥酔したときの記憶、あるいは観察がなければ、泥酔していけない。しかもこれを表現として見せていく意識が 足りていない。泥酔して座り込んだり、眠り込んだ姿を見せていても面白くはない。酔狂というか、酔いのテンションが足りない。
動画を上げておくので、各自点検をどうぞ。(上げられるかな??)
最後に恒例相関図。ホームドラマは勘弁ね。とはじめてみたら、もの凄い失速。あのね、すべてリアリズム。濃い、深い、リアリズムでやればいい。キャラクターを創るよりも前に感情のリアリズムのないシーンはまったく説得力がないので、つまらんのだ。
以上。