2010/10/25
はしご稽古場 そこは地獄か極楽か。絶望と幸福の狭間。

今週末に控えた朗読会の稽古が今日から本番まで始まった。それぞれが創っている会だというので、あたしはスタッフを案配して、今日からはどちらかと言えば 舞台裏の調整のための日々の予定でいた。スタッフはあたしの信頼できる面子オンリーなので、この3日ですべて調整できると安心していたのだが、、全員揃う 稽古はないという急場となった。スタッフに理解してもらうこと、ほんの5分。とりあえず、あたしも含めて、総見した。正直言って、途方にくれる。この公 演、制作というわけではないのだけれど、制作がいない。やっぱりあたしが動くしかない現実。調整のために猫に鈴をつけなければならない。信じられない状 態。明日から幕が開くまでに何とかならなければ、ならない。それぞれが創るということには、それなりの実力が必要と想い、音響のだぶちゃんと頭を抱えて、 稽古場を後にした。
開かれた稽古場へ。今回はリアリズムを追求したいと想い、課題を組み立てていく。感情のリアリズム、人間のリアリズム。
理屈で説明すれば、堂々巡りになることを糸をそっと解いていくように探りたいと想った。参加者3名、こだわっていきたい音と身体のために音をダブちゃんに 出して貰う。過日の稽古中にあたしも自主稽古を重ね、稽古を重ねようと心に誓った。そろそろ友人のワークショップに参加する時を作っていき、そして、せっ かくの開かれた稽古場にも参加することにしよう。
早速、今回は参加。繊細に感情を動かしていく課題。ハードルは高いが、高いからこそ、クリアしていきたい。
感情を煽りあうための課題。感情をぶつけていく、感情を感じていく。言葉はNG.声はOK。歩くところからはじめる。歩き出す。感情が湧いてくる。歩くこ とをやめる。Nちゃんが感情を喚起し、動かしている。引き寄せられる、反発する。感情が変化していく。Yきの感情を受けるが、消えていく。感情がふつふつ とする経過を感じる。Nさんと感情が絡む。こうして文字にするとそこに生まれた物語は思い出せないのだが、物語を感じた成果。
人と人、人の感情と自分の感情、その距離感。距離感をどう掴まえて、どう表現していくか。感情と距離感の課題。シーンになっていった。言葉遊びも含めて。面白かった。
感情の受け渡し。ここで、感情の著しい変化、予測不能の変化を感じることができて、わくわくするほど面白いと想った。にんげん、ってこういうことだと。
奇妙な部屋。他者の存在にタイする否定と共有。参加することで、混線していくことを体感できた。さらに面白くしていくには、どうシーンを動かせばいいのか、わからなかった。
疑念のシーン創り。誰が何で、何が嘘で、何がほんと?そんなシーンだった。
あたしは外れて、男同士の煽りのシーン創り。3連発。
1本目はYきの小動物ネタに回りがNちゃんの残酷さとMケルの真剣さがうまく絡み、まあまあに仕上がった。
2本、3本目は確かなものが見えてこなかった。
Nちゃんの煽り、もっと能動的でもいいかもしれない。これはアクションとして。
中毒、餓死。感じること、想像力の実感。そういう態を創ることも必要だが、あくまでも想像力を実感に変えていくことが大切だと感じた。
餓死を身体表現してみた。Nちゃんもしていた。そう、表現すること、しないこと、その仕分けが面白いのだな。
煽り15連発。人を動かすことまで届いていない。不発。
最後は相関図、変化球の課題。一番必要だと想う感情の波が置き去りにされてしまった。物語はわからないものであってこそ、伝わるのかもしれないとそう思った。
いい稽古だった。
芝居ってなんだろうと想うこと、劇的ってなんだろうと探すこと、やめてはいけない。そう想う。

帰り道、女友達とメール。心配事、消えない。