2011/02/21
精神統一の日。

久しぶりに座禅を組んでみた。うちの師匠の稽古場はヨガのポーズによる発声だった。毎週の稽古のはじめの30分は発声の時間に割り当てられていた。この時間は声を強くし、心を安定させた。
今週も開かれた稽古場から始まった。日常訓練を繰り返すことで、役者の中の気付かない抽出を開けていきたい。今回も少数だったので、稽古内容のみ記してお く。反芻作業をしてほしい。参加者3名。見学1名。初参加がいたが、訊けば芸人さんだと言う。思いがけずいい素材で、稽古は進む。用意した課題のまま変更 せずに進行することにして。まず、歩くこと。スタイリッシュに歩く。そこから煽りから闘争へ。M本、R音がいい。Mケルは姿はいいが、やることが表面的。 これが今回の稽古は延々と続くことになる。呼吸、己の感情を上げていくこと。衝突する部分の火花が弱い。アドバイスしながら、繰り返して繰り返して30連 発。シーンを創れる瞬間がやっときた。切り取ってみる。手を入れての煽り連発、シーン創り連発。
続いてフリークス。壊れてみること。R音がいい。もっと壊れていければいいね。
M本は公演の役の獲得と稽古で覇気が上がっているので、今回の稽古の反応が総じてよかった。
闘争とか。シーン創り。
追い込む、死を意識する。自暴自棄。心が飽和状態になることを求めてみるが、果たして。まだまだ感情の天井が低いと感じる。そのストッパーを外していきたい。観客の予想を裏切るものを提出しなければならない。
R音は心情を言葉にすることで内面が逃げている。Mケル、中身が全然ない。こりゃダメだね。M本、心からの声であること、心からの表現であること。まだまだ先に声ありき、先に表現ありきの感あり。
殺意。強い感情を引きだすための想像は細部に渡らなければならないのだ。みたいなものでは、観客の心を揺さぶれない。そして、これはその感情を想像するのではない。その状況を細部に渡り、その場で想像することなのだ。
哀願とか懇願とか。人の心を動かすための必死さ。なかなかできないね。どうしても逼迫した感情になれない。ネタになってしまう。人が本当に必死になる時、それは芝居の笑いに繋がっていくのではないのか?
身体表現。
相関図。2パターン。途中に感情喚起をするために、1シーン入れた。3連発。心が動いていたのはR音。相関図はベットルーム。信じられない、信じたくない事実を目の当たりにした時の、その瞬間が観たいのだということだ。
ここに通う役者、表現者たち。ある程度の光が見えてくるとあたしは誉める。誉めると来なくなる。芝居の訓練には終わりなぞ、ないのにな。頭でわかっている だけでは、それは本当の支えにはなっていないのだ。10年、20年、100年というスパンで日常訓練を続けていけばいいのに。
明日は我が愛しの娘、芸大一次試験。愉しんで描けますように。5年通う美術の予備校で今日は試験前最後の絵を仕上げているのだろうか。
試験会場が予備校ならいいのに、と昨夜言っていた。精神力って、難しいね。母も想うことしきり。明日は小さいおにぎりを作って持たせよう。