2011/03/28
稽古をする。感情を鍛える。今だからこそ。

被災地の皆さんの現実は想像を絶するものであろうと想う。1日も早く安心できる日常が戻りますように。

でも、あたしたちは芝居を創るために、日々精進するしかない。
役者、とは何ぞやと追い続けている中で、あたしはこの開かれた稽古場で求めていることは感情を動かすこと、そして、実感することだ。想像することだ。
よく、「殺人をしなければ、殺人者の感情は持てないのか」と問いかけてきた。
そこを埋めていくものは、役者の想像力で充分だ。
さて、未曾有の出来事が起こった。未曾有の日々が続いている。被災地の現実はトウキョウから見れば、もっと未曾有だ。
2週間が過ぎた今、本当の感情を掴むためにこんな恵まれたチャンスはない。誤解しないで貰いたいが、だからこそ、真摯に向き合うことと何度も手を入れなが ら、進めた。参加者2名。見学3名。稽古場の皆がこの課題をどう受け止めたか、これはまた今後の演劇に向き合う重大な課題でもあると想っている。

だれもが精神のバランスを失い、イライラしている。不自由を強いられているようなトウキョウ。闘争とか争いとか。

大震災の日からの自身の体験、報道される映像、報道される活字、それらを総動員して、記憶を再生し、そこから感情を創る。客観視することを禁ずる。同化していくこと。音あり。「深い哀しみ」
これは1本あたしも参加し、身体表現まで含めて創った。無念な死を遂げた見ぬあなたたちへの鎮魂歌として。
今まで聴いたことのない声が己から出た。怖かった。すごく哀しくて、怖くて、涙が引き潮のようにひいては嗚咽がこぼれる。はじめての感覚を持った。

同時多発。津波に追われる。丁寧に気付いた点、疑問点を投げかけて2本。
音あり。
「閉じこめられる箱」恐怖の実感。2本。
「不自由な肉体」実感の稽古から身体表現、声の表現までの連作品として。
今、あたしたちにできること、この感情を忘れずに、この感情を育てることではないのか。それでも、あなたは芝居を続けるのか、と問いかけていきたい。
不謹慎という名の下で、検閲を受ける表現者にはなりたくないのだ。

続いて、恒例の課題。
奇妙な部屋。日常の実感。リアリズムからシュールなシーンを構築するための課題。
相関図。3本。
身体表現。

以上。
情報と、現実といかに向き合い、いかに活かしていくか。
いかに表現していくか。
津波に呑み込まれる芝居を演じることができなければならない。
だから、稽古、精進、それしかない。
綺麗事並べる暇あったら、身体、心を動かして、役者として立ち上がれ。
それしか、ない。