2011/04/11
リアリズムを追ってみた

大震災のあの日から一ヶ月が経った。その間に仲間たちの公演中止があったりしたので、いろんな心のうねりと向き合うことも多くて、なんだか地に足をついて 踏ん張っていることがきつかった。この数日で新たな懸案事項についてのあれやこれやで、昨日はぎゃあああ!と叫びたくなった。耐えられないと想って、お世 話になっている方にちょっとだけ心情を吐露した。芝居のことだけ考えていたい。投げ出したくなったのだ。甘えることができなくなる。もうきついよ。
芝居のことだけ考えて、稽古だけしていたいや、と想った月曜日の朝。開かれた稽古場の課題を決めて、音を聴く。
稽古場に向かう前に大きな揺れ。「もういいかげんにしてよ」と想う。
稽古開始。今、稽古場に来ている面子の内面はとても素敵。そこで、まずは声の強化。四股発声による声の増殖。息から声の輪郭を強くしていく。Mケル、Y子 二人ともまだまだ声が脆弱。音を入れて、Dちゃんに音の共存をお願いしたが、声が消えてしまう。鍛えなきゃ。四股の歩行を修正して、アドバイス。A子到着 で参加者3名、見学2名。今回はリアリズム、信じられることと実感に拘ってみる。
独り言をはっきり声にしていく。ささやきは決してリアリズムの原点ではない。これがあたしの持論。他者の発見、その時の瞬間の反応。A子がいい。Mケルもアドバイスしていくとよくなっていくが、言われる前にやってくれ。
今回は部屋に帰る殺人者の縛りを加えてみる。奇妙な部屋。殺人の実感、想像力による実感の最たるものだ。Y子は頭で考えたことが行われていくので、それは 実感ではない。A子の実感はおそらく間違ってはいないが、信じられるには弱い。殺人者の実感と他者の発見がなかなか繋がっていかない。発想や思いつき、ア イディアではシーンは動かせない。
実感を持って、シーンの中に身を投げてみることではないのかな。
御霊信仰を考えてしまうほどの現実の死の場面、被災地ではそれはもっと突きつけられる現実だし、海外メディアの伝えていた映像はそれは目を背けるほどだった。
演劇は、戦場でも意義を持って存在しなければならない、とあたしは想う。
そのためのリアリズムと虚構。信じられるものだけを提出していきたい。
死と向き合ってみるための課題。殺意→佇み→実行→反応まで
殺意を感じること、殺意という感情を喚起することだ。殺意を心に滞在させること。実行、そして、そのあとの死の確認からの感情のうねり。そこが観たい。
皆忠実に実感していこうとしていた成果、ただ、そんなものかな、と想った。
実行の後の笑いについて話す。信じられる笑いができれば、それは最高かもしれない。
続いて、殺人の目撃 2作。
まず、殺人を目撃し、反応する。A子の反応に瞬発力が足りない。Mケル、Y子想像が途切れてしまう。
続いて、殺人を強制的に見ていなければならない状況。強制的な目撃、立会人。
2連発。A子がよかった。もっと溢れてくるだろうと期待する。Mケルの2本目が途中までよかった。Y子、まだまだ想像力が足りない。心がもっと開くように。
争いとか闘争とか。5連発。どうしても引いてしまう。アドバイスしながら、繰り返す。感情をピークにあげること。切れのあるシーンまで繰り返していきたい。
Mケルのボディランゲージがうるさい。いいところもあるのだが、うるさい。整理して有効に使えればいいのかもしれない。
告白。20連発。Mケルの愛情表現。いい瞬間が2度ほどあったが、相対的に、信じられない。瞬間恋愛ができないとね〜
今回は反応の稽古と指示しながら、こんなダメもなんだけれど、女優ふたりももっと冒険すればいいのに、とは後の祭りか。一応、書いておく。
懇願とか哀願とか。歩きながら、繰り返してみた。
感情をたくさん動かして、最後に相関図。2本。3人ともとても良かった。いい表情、いい反応。これがもっと深い愛情になれたら、もっと素敵なシーンになりそう。よーこと稽古をはじめてはじめて、よーこの表情が活きた。嬉しかった。
以上。
繰り返す、繰り返す。
命ある限り、芝居を続ける。稽古を続ける。
やることをやる。コツコツと足跡をつけて、前へ進もう。