2011/04/18
まず人として、人間として、その心がどう動くのかを素直に感じてみる、そんな原点に戻る。

冷たい雨が降る。心がせつなくなる。現実はとても哀しくてやりきれない。何とかここから這い上がろうとしているが、とても苦しい。
たとえば、今のあたしの心境を文字にするとこうなる。

月曜日は開かれた稽古場だった。大命題として、これから何を創っていくのか、これから、芝居の意義をもう一度問い直したい。あの日から変わらず続けている開かれた稽古場で、もう一度立ち戻って、稽古を重ねようと想ってきた。
己の課題を整理したり、己で自問自答して、やっと原点に辿り着いた。それは自己顕示とか役の感情とか、そんなことすべての原点だと想っている。
開かれた稽古場、参加者3名。これまでもなかなか定期的に日常訓練を続けることには困難を察してはきたが、あの日以降も本物を目指し、稽古に通ってくる役 者がいる。いつも同じメンバーではないので、あたしの軸だけは今、改めてしっかりしていたい。ここで基本とするのは、感情を自由に動かすということ、それ はぶれない軸である。さて、さらに今は、まず、人の感情がどう動いていくのか、素直な反応でそれを掴んでいく課題に徹してみた。
感情を見せるための感情ではなく、何も無いところに蠢く感情、それがあたしの欲しいものだし、観客に見せたいものだ。
心を柔らかくして、ただ、そこに居ること、そこに起こる化学反応、それが芝居の原点であり、源流ではないかということだ。
怒りの感情からの争い、煽り。シーン創り。
告白。それに伴う反応。人間の本質がこぼれてくるわけだ。
避難所ショートショート10本。それぞれの役者の想像力とそこに動く感情。まだシーン創りをしてしまう部分も多いが、瞬間に芽生える感情は、何作かに観ることができた。想像力が豊かに動いたM本、R音よかった。
何もしなくてもいい。想像し、そこにいてくれればいい、そう想ったのだ。
大きな身振りも感情の表現もいらない。どうやるか、必要ない。
リアリズムアングラがあたしの、テーマ。アングラ風ではない、そんな表現となったものを求めていきたい。
静かに進む感情のさざ波のような、そんな本気を創ってみたい。
身体表現。これは音と身体の連動、
発声。声は役者の必需品。
コツコツと追いかけてみる。どう表現するかではなく、原点回帰してみる。
そこには、劇的な瞬間が火のように燃えるはず。
言っていることは変わらない。もっと深く求めてみる。
本物の役者に必要なこと、芝居に必要なこと。
そこに佇むこと、人間として。
以上。