2011/04/25
まだまだ想像力が足りていない

昨夜から身体中の関節が痛くてたまらなくなる。日々の仕事が休みなく続くので、気力で乗り越えていく。若い友人宮川から長い報告のメールが届き、それにあ たしの脆弱な本音を返信した。若い頃のむちゃくちゃを想い出す。その頃、袖すり合うも多生の縁だったなつかしい人を鮮明に想い出す。あたしは愛称で呼んで いた奴の、映像を観る。ただただなつかしい。
昨日は開かれた稽古場だった。見学が一番乗りで、参加者が5分刻みで遅刻して入ってきたので、集中力という点でいやだな、と想った。
参加者3名、見学3名。今回は引き続き、想像力を課題とした。特に説明はしなかったので、あたしの中の一連の課題。頭からはM本だけの課題。キャラクター 七変化。キャラクターを際だたせるものはやはり内面や癖であり、決して大袈裟に演じることではない。感情の切り替え同様、ゆっくりキャラクターを落として から言葉を発すればいいのだと想う。
続いて、M本、感情七変化。感情を持つことが確実にできるようになった。押し出していくしつこさがなくなり、非常に観ていて安心できた。
新しい課題、「連想発声」に取り組む。声を鍛えることを言葉に繋げていく、そして、声は身体の一部である意識を持ち、身体言語を創るための課題。音あり。
まず初っ端のM本ひとりの表現、言葉の連想はとても良かった。歩行部分をアドバイスしたところにY子、Mケル到着で、再度説明2回。新しい課題であったの で、繰り返す説明の意味は見いだせるので、説明の内容を少しずつ変えてみた。止め止めで繰り返す。言葉からの連想と発想がつまらない。声が弱い。言葉の一 音一音の長さをアドバイスするが、変化が見られなかった。Y子はとにかく挑むという気持ちが足りない。踊り手なのだから、身体から言語を導き出せたらいい のに。
とにかく、稽古場に入って集中していくことがまず第一条件だと想う。稽古に向かう姿勢は一生ものだと言うことだ。切り取られた時間だとしても、稽古には集中しなければ意味がないとあたしは想う。
連想発声を3連発。言葉のリズムが緩慢、連想の想像力が稚拙。最後に同時多発、玉砕。Mケルも声を、Y子も声を鍛えるべし。M本は言葉は丁寧に発する方がいい。表現主義に走ると言葉がただの音声になってしまった。
身体能力はあがっているね。
被災地ショートショート。10作品。感情が交換される。状況がはっきりみたい。
しかし、そこはニュースで報道される字面の域を超えることができない。想像していくことの不足をものすごく感じた。「極限」と提示して、声を投げていった が、全然だった。吐き気がするほどに想像してほしい。想像力が及ばないほどの現実に向き合うためには、とことん想像していかなければ、役者になんてなれな いやね。
Mケルが女に抱きついた。その想像はいけた、かと想ったが、何とも陳腐な運びに終わった。もっともっとドロドロとした人間の感情が蠢いていくのではないかな?
この場所に2ヶ月いたら、半年いたら、1年いたら、と体験を持たない想像力を鍛えるためにはもっと苦しまなければ、及ばないのではないか。
報道されることの裏側に想像の源を見つけていかなければ、及ばないと想うね。
今回の作品は所詮、上から目線のものでしかなかった。
奇妙な部屋、2編。リアリズムによる日常と非日常。反応ができていないと成立していかないのだ。それぞれに首がないという2編目。M本とY子の反応は面白かった。Mケルがそれにのっかれば、面白く進んだのだが、叶わず、切る。
ひまわり幼稚園。大人の発想でつまらなかった。
恒例相関図。愛情が見えてこない。愛情の上にある後ろめたさや嫉妬や失望や焦りや絶望、、とにかく、劇的とはなんぞや?
以上。身体表現の時間取れず。

先輩や友人から芝居やろうよ、と何通もメールを貰う。今、あたしは立ち戻り、考え続けている。その想いを載せて、次の自分の芝居を創ろうとしているので、
砕いて心情を綴り、返信した。
稽古を続けて、明確な提示をしていこう。