2011/05/23
ゆめをみるとゆめがかなう。それからまたあたらしいゆめをおう。

先週は静と動の相反した日々で、あたしもバランス感覚がよくなった。そんなことを想った一週間だった。開かれた稽古場から始まった。参加者3人、見学2名 の稽古場だったので、それぞれにダメを入れながら進めた。それぞれが良い影響をしあって、そこに劇的瞬間が産まれていく。稽古内容は、感情の交換を軸に進 める。感情に対して反応、共鳴、反発等、瞬間に見え隠れするものを探った。
強い怒り、深い哀しみの感情の交換。マイケル・リューの表現が素晴らしく、息を呑み、目を見張った。A子とR音の横顔も引きづり込まれるように動いた。
微動だにせず、哀しみを表現したマイケル。諸手を挙げて、絶賛だ。ここから、さらにそれぞれの感情が豊に動き始めた。歌舞伎の台詞による発声、身体表現、ひまわり幼稚園はそれぞれにアドバイスをした。次回に繋げてほしい。
それから、歌。少人数の時にやろうと想っていた歌の表現。これは、ひとりずつ歌い、DMXによるアドバイス。彼の言葉にあった「巧いひとはいくらでもいる。」そうだよね。芝居も同じ。唯一無二の存在感を持つ役者たちが羽ばたいてほしいのだ。
皆歌も巧いので、伸ばしていけたらいいね。あたしはR音の歌、姿が好きだった。
最後は感情がよく動いたところで恒例相関図と相成るのだが、さらに、ここでマイケル・リューの怪演。こいつも実はきちがいだ。いいんだよね。
こつこつとアドバイスを受け止め、稽古を重ねてA子の表情もくるくると動くようになったし、R音はダメがよく通り、一度ダメを出すと格段によくなる。
フルスイングの稽古もうちの持ち味と自負してはいるが、時には丁寧にみてあげようかな。それぞれが嵩上げしていく稽古の積み重ねは、実に愉しい。
このモチベーションの稽古がいつも維持できれば、もっと見学を受け入れていけるな、と小さな夢を持ち始めた。稽古はあくまでも課程であるので、公演や本番 の扱いでできない。積み重ねているものをそっと積み重ねたい気持ちも役者心理もある。色々と前向きに悩み、夢をみることはいいものだ。
そして、秋のピンターキャスティング。今週はすべて待ちとなった。いい若手を探したい演出希望のオーディションも〆切までは待ちが続く。
戦友のような芝居仲間にも出演交渉をするために逢った。演出との間に流れていた空気は穏やかでよかったけれど、今、戯曲を読んで貰っているので、これも待ち。
ひとり待ちだった役者さんの返事はこなかったのか?持ち越しで、待ちだ。
キャスティングにはあたしなりにルールがあるので、ひとりひとりの応えを待つ時間は心静かに待つ。その役をその人がやってくれることを夢想しながら。
芝居を一緒に続けた親友が出演することになった。もうこのまま普通のひとになってしまうのはきっと彼女の人生ではないと5年前に想った。そっと主宰に渡し ておいた彼女のプロフィールがやっと活きた。久しぶりの稽古場、本番、大丈夫だろうかと友として心配してもいるが、芝居は間違いがないので、少々の面倒は みようと覚悟している。できれば、共演したかったね。叶わず、でも、いつかまた。
タレント養成は思い切って、メンバーを審査して、20人にした。ここからさらに半分にして、チームができるまでがあたしの役目。先週からは演技の稽古もは じめている。今回で終わりになったタレントたち。審査結果を伝えた。感情を抑えて、抱え込んだ彼女たちの顔。それぞれに夢を追い続けてほしいとちょっぴり 胸が痛んだ。
もう1本、航空会社の仕事でドイツに行くことになっている。そのスケジュール待ち。芝居をすべての仕事の軸に伝えてあるので、夏前に決まらなければ、ピンター公演の後になる。これも社内の自粛の空気が未だ溶けずで、待ちだ。
待つことも夢の階段を昇るためにはきっと大事なことだなと、想うこの頃。