2011/06/06
役者同士に化学反応が起きる時、その空間が色めくという成果。

秋のハーフムーンシアターカンパニー10月本公演ハロルド・ピンター連続上演のキャスティングの毎日が続いていた。今回は制作的に原点を見直さなくてはな らないところからの交渉となったので、公演への想いをまず己の中でギュッと抱きしめ、それを核にして進んだ。夢は叶えるものだから。昨今は芝居をはじめた ばかりの役者修業者でさえも資本主義的な発言をする。もちろん、仕事には対価があってしかるべきというのがあたしの考えでもある。だが、芝居=金がない、 の図式は甘えの構図でもあると制作をはじめた頃から思ってもきた。このカンパニーの制作は明確な予算組ができるので、その予算の中であがく。時にはそれを 叶えたい演出やスタッフにNOと言わなければならない。俳優諸氏にも無理な提示もしなければならなくなったのが、今回の現実だった。しかし、通じる方たち の御陰で金銭的なNGは一度も出ないまま、夢のような理解とキャスティングが現実となった。俳優諸氏、スタッフ諸氏、マネージャー諸氏、すべての芝居作創 りにかける愛情によって叶った座組だな。嬉しい。早速、出演者のチラシ材料を集めている。情報公開までお楽しみに。
そんな中、開かれた稽古場はコツコツと続けている。今回はピンター作品の給仕役オーディションのあと、稽古場へ向かう。
久しぶりにHでが来ていた。彼の名前をついったーの知らない人のつぶやきに見つけてニヤリとしながら、稽古もしなさいね、と思っていた矢先。
今回はM本、Hで、R音の三つ巴。これはいける、と想い、やりたかった作品創りを実行してみる。完成度が非常に高く、稽古場で出したアドバイス以外のダメはない。
感情表現のための。
闘争。
泣く。
感情表現のための。
感情の連鎖。
感情表現のための。
身体表現。
以上、すべてDMXの曲との共存。
Hでの柔軟な感情と敏捷な身体は天才的素養である。M本は積み重ねた点がすべて繋がったし、R音はこの空間に無心に身を置くことを知ったのではないか。
集中した仕上がり。
次に無様(ぶさま)になるための。
恥をかく、さらけ出す。開放する。そして、自由になる。
三人とも天井を抜けることができない。このストッパーをどうしても外したい。
恥を晒して、笑われたなら、恥を晒して、泣いて貰えたら、幸せなのだ、役者なんてものは。そう思ってほしいのだ。
以前、あたしの友人が「感情をさらけ出すことができないので、女優はやめる」とこの世界をきっぱりやめた。彼女の選択は非常に正しい。とあたしは想った。
そういうことだと想う。
ひまわり幼稚園。うむ。
人間の吹きだまり。3態。心が動いて蠢いて、そこに居るだけでいい。そこには静かな時が流れた。あたしが求めているものは泣き叫ぶ表現ではない。こうして、形に見えたとき、そうそう、と至福。劇的をしっかり捉えていく。
以上。
表現とはなにか。劇的とは何か。求め続けてきた。求め続けた時にその空間に役者同士の化学反応が起こる。
今週もうちの稽古場を、あたしを「コワイ」と言う噂をきいた。あたしは笑顔でそれを聞いた。ここはそんな場所ではないし、ここで表現されているものは素敵なものたちだし、おまけにあたしはこわくないし。(笑)
さてと、続けよう。