2011/08/01
開かれた稽古場 作品集「いつかうよきょくせつシーソーゲーム」

このところ友人絡みの芝居をよく観た。三浦佑介の芝居には拍手をして、刺激を貰ったので、相方にかならず観てと7年ぶりくらいに薦めた。他の芝居を観て、 あれやこれや、自問自答するきっかけを貰ったり、自身の向かう方向を確認したり、口角泡を飛ばしたりもした。しかし、評論をしたり、批判をしたりする以上 は言うだけのことをやらなければ赦されないのは承知している。
開かれた稽古場は毎週足音を響かせてやってくる。かならずそこへ行き、2時間分時間軸に沿ってかならず課題を考えていかなければならない、mustの現場と心している。
今回の開かれた稽古場は作品を用意していった。前回書いた「いつか」をさらに整理して、膨らませた。「いつかうよきょくせつシーソーゲーム」
作・演出 森島朋美 即興音 DubMasterX 出演Nさん、M本、H子、R音
明かりが入ると背中だけの人間たち。無音の中にかすかに響き始める想い出し笑い。等身大のそれぞれであり、虚飾のそれぞれである。いつか。
人間たちがいる。街角や妄想や世界のあちらこちらや心象風景の中で、出逢い、探り合い、闘い、別れていく。それぞれの人間は喪失感を持ち、佇む。また歩き始めるだろう予感だけを残して。
「いつか」という音声は意味を持ちもするが、ただの記号でもある。
40分の作品であるが、詳細はあたしの原稿に残して。公開はしない。

Nさんの最後の佇みまでの連綿とした感情の繋がりは何度も参加している彼にして、はじめての快挙だった。役者とはこうあるべきで、強い羨望を抱いた。おそらく、本人も観たら驚く位だろう。映像ではない、消えゆく演劇の快挙がここにある。
M本もよかったが、まだ彼でしかなしえないものまで近づいてほしいと欲が出る。
復帰組のH子は昔の経験値をなぞることよりもこの作品で感じはじめたそこからコツコツと積み重ねればいい。R音は、何度も立ち止まり思考してしまったところがマイナス。静かに燃える情念や感情に、思考は呑まれていた。
完成度の高い作品ができた。
身体表現と感情表現のバランスシートを考えた作品。
喪失のラストの音が違うように感じた。
物語は役者と音と明かりすべての融合であってほしい。向かう先を同じ1点にしていきたいのだ。

後半は
今回やりたかったシーン作り。「腐る」
性根の腐りきった者どもの吹きだまり。
役作りのための課題。なかなかうまくいったので、
考えていた流れを実行してみた。役は今、その時を生きればいい。その先に何が起こるのかは、人生と同じ、たとえ台本に書かれたことであれ、役のそれぞれには知るよしもないってこと、それを実感してもらえた結果。
それにしても、Nさんがこのシーンでも化けて、恐れ入谷の鬼子母神で。参ったね。かっこよく毒々しかった。悪をやらせたらM本。いいよね、ゆるさが。
R音の反応もよく、怯んだところが最高。
H子はハラが据わりきれないところが弱かった。心を抑えたり、隠すことばかり上手になっちゃったな。これからは人生も素直に泣いたり、笑ったり、していこ うね。蛇足だけれど、あたしもそうなんだな。したいことして生きてきた。それがいつしか我慢をすることが増えている。大人として当然?でも、やだな。死ぬ までわがままにしていたいよね。なんてね。
H子の心を開いていきたいね。笑顔の裏側の表情がみたい。
最後はベットルーム。愛情表現のための課題。それぞれにアドバイスした。今回の参加者は皆欲があって、シーンは面白かった。しかし、いつもくどいけれど、面白いだけじゃダメ。そこに哀しい愛がみたい。
以上。
こういう稽古が続くといいな。謂わば、あたしのモチベーションが大事だったりするんだな。このまま天井知らずでいこうっと。