2011/08/15
記憶を劇的にしてみる試み 作品「打ち上げる、降る雨に。」

開かれた稽古場。10年くらい前にいいなあと想う若い役者さんがいた。何度かキャスティングの声を掛けたこともあったけれど、ついぞ一緒に芝居をしたことはなかった。ひゅんなことから、この役者さんがうちの稽古にやってきた。
参加者5名、見学1名、音DubMasterX。今回も作品創り。
「打ち上げる、降る雨に。」作・演出 森島朋美 即興音DMX
出演 Nさん、Hで、Mケル、Y木くん、I川さん
台本は公開しないが、今回は記憶の糸を動かしてみた。人間の記憶の操作といってもいい。記憶を呼び起こし、記憶を消し、記憶を抉りあい、記憶を捏造する作 品である。止めながら進行したものの素晴らしい仕上がり。Y木くんのリズム感のよさに驚いた。ただ、言葉が先行、イメージに酔うフシがあり、ここを深く切 り込んでほしいとアドバイスする。ずっと探っている声の、言葉のボリューム。きこえてくる言葉が活きた。出演者それぞれに居所を見つけることが心地よく なってきた。
演劇経験のほとんどないI川さんについては、神経について話をする。繊細なやりとりの中で成立していく記憶を軸にしたこの作品は、それぞれの繊細な心の可動域が必要とされる。
ウソはいらない、大袈裟な身振り手振りもいらない。時に混沌とする記憶の海にたゆたうような、そんな作品を目指してみた。殺人者の脱出。これも作品連作。それぞれにアドバイスした。Nさんの最後が秀逸。それまでの感情の道筋がもう少しはっきり見えたかった。
観客にとって、「その決断」*つまり、ここから逃げ出すことは殺人者ではなくなる。ただ、これまでの記憶もなくすということなのだ。をする瞬間は絶対ほしい。
続いて、琴線に触れる。劇的瞬間を考え続けている。繊細な心の探り合いを追い続けている。そのための課題。ウソのない言葉、ウソのないやりとり。ウソのない感情の揺れ。静かに流れるシーン。Y木くんの居場所がやや不安定だった。
I川さんは固まってしまった。Nさん、Hで、Mケル、いい。
さらに「狂う」「惚ける」
狂いを表現してみる。狂いを感じてみる。ボケを実感してみる。恍惚としたNさんが最高だった。身体も老人のそれとなっていった。身体と感情、状況の連動効 果。Mケル、声に老いが欲しい。Y木くんは器用。器用な中にホントがほしい。Hでの表現していこうとする意欲が好ましい。成果については、まだまだか。

以上。回を重ねてきたことで、あたしの目指すものが太い線で見えてきた。役者さんたちの点が繋がってきた。さらに積み重ねてみた先に何があるのか、
今、非常に愉しみである。