2011/08/22
言葉を排してみた。作品「沈黙というざわめき」

初心者も経験者もともすれば、「のようなこと」をしてしまう。芝居の稽古をこうして続けているととにかく「嘘」のつき方を考えてみたくなる。もちろん、芝 居の話。嘘は役者自身が嘘の世界に入り込んでつく嘘、つまり、想像力の海でつく嘘しかない。「のようなこと」と「虚実の狭間」は明らかに異なる。
というわけで、空気が動く中、観客が観客の心をざわめかせて見つめる中、ただ感じて、ただ心を動かす試みの作品に挑む。
沈黙の中にはたくさんの言葉が行き交い、音楽が鳴り、カーニバルだ。感情のカーニバルだ。
「沈黙というざわめき」作・演出 森島朋美 即興音 DubMasterX
出演 R音、H子
進行として、客席に三々五々で座る観客を想定してみた。それぞれにそれぞれの事情の先にこの観客席があったとして。
明かりが入るとそこで音が鳴り始める。Dちゃんによる即興シーン。パソコンのみの機材では、多くは望めないという結果。再考。
延々と続く音の即興の中、登場する役者2人は言葉は発することを禁じられている。延々と言葉のない、感情シーンが続く。身体表現、そして、こちらの指定した「黙れ」「ダマレ」という言葉。
言葉を排することで、深くなる愛情。お互いに抱きしめるように近づき、抱きしめるように涙ぐんだ。感情の高揚に大きな叫び声はいらないのだ。言葉はいらないのだ。
目撃、攻撃、愛情。
静かな愛情が、信じたいという想いが 舞台上に残る。「ダマレ」余計な言葉はいらない。いつまでも無音の中、佇むふたり。
どちらかというと言葉に頼る役者ふたりの参加がわかっていたので、思い切って沈黙の作品を書いた。削がれていくうちに、ふたりは活き活きとして、素敵だったよ。それぞれにアドバイスを加えていける稽古だったので、作品紹介のみ。
笑いを探る。笑いの中にリアリズムを求めてみる、そして、様式を求めてみる。
しゃべりの得意なふたり。最初の45分の作品でできていた反応が飛んで、すべて言葉の応酬になる。力業には力が弱いので、もうひとつ笑えない。
恒例相関図。無対象で。愛情がみたい。その心の葛藤がみたい。及ばず。
いつか笑えて泣ける相関図20連発くらい決めて下さい。
優しさに包まれたならきっと。
以上。