2011/08/29
言葉を考えてみた。感情の中から言葉が滲む時 作品「回す」

昨日もピンターの本読みを聴いた。今回もキャステイングはぴったり、あとは小手先ではないそれぞれの存在かなあ、という感触だった。
開かれた稽古場に時間ができると参加しているHでから「台詞をやってほしい」ということを何度も言われてきた。稽古にプリントを配り、台詞を取り入れてみたこともあったが、どうも違うな、と考え至ってやめた。
というわけで、台詞は台詞をどうこなすかではないところを実感してほしいという発せられることば、相互に反応しあう言葉を操る作品に挑んだ。
開かれた稽古場 参加者 3名。もう来ないのかなと思っていたY子が思いがけずやってきた。見学1名。
作品「回す」作・演出 森島朋美 音 DubMasterX
出演 M本、Hで、Y子、声=森島

身体表現、音の即興、言葉を回していく。会話の中から言葉を掴まえ、次のシーンを回していく。あらかじめ台本に書かれていた言葉を加えていく。
「ここに居なければならない」
言葉を外から放り込んでいく。
次第に追い込まれていき、逃げ出したくなるような仕掛け。逃げる、そして、
最後は棺桶に閉じこめられる三人。心から零れる言葉。「ここに居なければならない」魂がぬけていき、顔だけが残る。無音。
台本は非公開。
とてもよい息づかいと接触と混線がグルグルと回った。三人ともよかった。最後に発せられた台詞は、決して用意された文字ではない、役者のつぶやきになることができた。M本、Hで、Y子。全員もれなく心の汗をかき、泣き、つぶやくことができ、優秀な完成度だった。
続いて、愛情の課題。色気の課題。Y子のためのソネット。
美しく、かわいかった。もう少し。今は指示して、すこしずつ開いていく。Hで、M本の反応も自然だった。劇的な瞬間は、相互作用だということだね。
続いて、Hで、M本で愛情表現。繊細な表現のできるHで。正視の叶う表現になった。セックスやマイノリティを観客に提示する難しさ。演じる役者のニュートラルなキモチが大事なことだと思う。
仕組まれた作品の中にはすでに仕掛けがあるわけだから、過剰な表現はいらないと言うことだ。自由に自然に動いたものだけで芝居が出来ていけたら、素敵な結果が生まれるのだと言うことだ。心地よいシーンになった。
純度のある役者たちで居て欲しい。自己顕示がみるみる消えていったとき、劇的表現は産まれるのだ。
恒例相関図も今回一連の流れの先で、うまく回った。
以上。
自惚れず、さらに自由になれますように。
コツコツと積み重ねて、輝いていこうな。