2011/11/14
言葉が意味を持たない羅列だとしても、そこから物語は産まれるという試み

日々多忙。忙中閑なし。ゆっくり芝居の話でもしながら、美味しい珈琲を飲みたい。そんなことを想いながら。
日常訓練がそこにあり、ただ、ここから物語を紡いでいきたいので、毎週1作品を己に課して、書いている。うちの開かれた稽古場のために。
今回は齢妙齢にて、女優になりたいという方を頼まれた。彼女も参加の参加者4名。
まったく経験値は問わないを基本に課題を進めているが、今回は順番を入れ替えた。身体表現から出逢いのシーン作り。15連発。今回の作品用に用意して貰っ た曲で、動く。歩く、踊る。そこから、出逢いのシーン。手を入れて出逢う。初参加のI子さんは人生の経験からくる度胸で言葉が溢れる。しかし、それはひと りよがりな言葉に過ぎないので、ダメを出し、繰り返す。
R音、M本は冴えていたが。ひとつのウソが混ざることで、それらのシーンは軽い、薄いものになってしまうということ。後半、出逢うという課題を全員が無視していたので、修正する。
続いて実感の課題。余命宣告からの時間軸を動かしてみた。まず、登場するまでの実感がなかなか生まれない。繰り返し、繰り返し。頭で組み立てた物語は、綺 麗事になっていく。実感することは観客の背筋を凍らせ、観客にも実感を与えると信じる。小手先の表情はいらないし、言葉も要らない。その実感を抱えて、た だそこに居て欲しかった。身体の苦痛、心の苦痛、心の逃避、他者との関わり。細やかな実感の元でしか成立しないもの。それが、命を劇的に提示することだ。 命を軽んじてほしくないし、役への同情は役を小さくしてしまうのだ。実感をどこまでしていけるか。それを課題にしていく。
さて、作品「すべては言葉のあやとりからまいまいつぶり」作、演出 森島 即興音Dub 使用曲 東京スカパラオーケストラ。出演 松本渉、R音、H子、I子
以下、構成台本のみ。
登場する俳優は名乗りを上げて佇む。名乗りはあるひとつの単語、あるいは短いフレーズと氏名のみ。佇みはしだいに蠢きとなり、はじかれたように踊り狂う。
曲終わりで佇む。
歩き出す俳優たちの口々から言葉が零れてくる。それぞれの言葉は順不同でプリントの言葉が同時多発で発せられること。
破裂音が響くとひとりの俳優がひとつの言葉を発声する。
そこから、「怒り」「哀しみ」「激怒」「号泣」という感情のぶつかりあい、あるいはシーンとなる。
破裂音で、次の言葉に移る。繰り返し、次第に人々の感情は一触即発の態となり、爆発し、やがて、飽和していく。
狂う。
舞う。
以上。

松本のみが作品を理解していたのではないか。まず、リズム感がゼロの出来で、感情もはっきりしない。今回は失敗。
再度創り直しだ。ガッカリ。
最後に相関図で終了。
感情のやりとりしかない。手練手管もそれ風のこともクソ喰らえだよな。
さらに稽古は続けます。
道場破り、大歓迎。