2011/12/19
感情を様式にする

メリークリスマス!
あたしはクリスマスが好き。毎年クリスマスはスケジュールを空けてとはいかなくなり、仕事をしているけれど。なんとなくわくわくするのがクリスマスイブである。
今年ももうすぐおしまい。先週はピンター研究会が今年最後だった。ちょうど今年のはじめからはじめたこの稽古も少し感触を得た。読んでいて面白いな、と感 じていた「家族の声」を前回は他の方で聴き、今回は息子役を読んでみると、意識の中で「違う音で言い始める」と意識してしまって、こりゃ、違うなと想った り、母の言葉が妙に心を揺らして、これは違うなと想ったり。実際やってみることから見えてくることがあった。日々稽古。
さて、今回の開かれた稽古場は、あたしがずっと言い続けている心を動かし続けるという存在の仕方を様式にしてみる試みをした。
作品「JONEN Puzzle」作・演出 森島 音 Dub 出演 松本渉・ようこ・H子
毎回台本を書いている。これから台詞(決められた言葉)を少しずつ、これまでの即興性は保ちながら入れていこうと考えている。
感情のピークがきたら、感情がはっきり動いたら、すべてそれを身体表現にしていく流れ。
台詞がひとつの軸になり、繰り返されて終わる。
まず感情の動線がありき、とならず、表現ありきになってしまうことを修正しながら、台詞の同時多発部分に不要な間があいて規則を作ってしまうので、そこを 修正して、進めた。M本の台詞が非常によかった。これまで与えられた言葉に対してあった構えが一切なく、台詞を発することができたのではないか、と嬉し かったね。Y子は台詞術など持ち合わせていない。ただ、声を張り、はっきりと感情を持ち発する言葉にすることを指示すれば、それは案外味のある言葉になっ た。
少しだけ、ふにゃふにゃした部分を指摘するに留めた。今後の課題にはしていこうと想う。
H子は台詞に対する構えがすごい。まず、いただけない作り声を指摘、今後、感情をしっかり持って、言葉を発することができるようになりたいね。
松本もY子もしっかりその場の感情を動かしていけるようになった。Y子は身体表現についてはもっともっと綿密な表現が欲しい。これは欲としてのもっともっと。
先週の感情音楽劇にも共通することなのだけれど、ただただ感情を垂れ流すだけではない「表現」をあたしとしては追求している。
面白かった。今回は冒頭部分のみ、チラリ台本を公開してみる。
 
僕(あるいは私)

 四方に挑みかかる態。地響きのような叫び声。
 静寂。

(極めてはっきりした信念のある声で)僕は(あるいは私は)憎む。この世の中に蔓延しつづける善意という奴。そんなものは所詮顔のない男、足音のしない忍び足、手かせ足かせのダルマじゃないか。
訳知り顔のエセ評論家たち、ぶっつぶせ。僕は静かにこの世の中を見回している。仮面の下にある醜悪な自己満足におまえたちは何故そんなに必死になれるんだ ろうか。後まわしの人生論だ。ぶっつぶして、粉々にして、ほら、撒き散らしてやるよ。善意というくだらなさの上をざくざくと踏みつけて歩くんだ。粉々に なった善意という奴。バラバラになったおまえらの醜態の上を、
ざくざくザクザクと
ザクザクざくざくと
歩いてやるよ。
ザマーミロ。

静寂。

愛しているよ、君だけを。

静かに笑う。笑い続ける。
やがて暗闇に限りなく、近づく。

身体が震えはじめると
地響きのような爆音。

さらに拒絶の課題。
続いて、感情を殺すために「家政婦のミタ」歩く。手が入るとペアになり、一方は相手の感情を動かす。しかし、他方は感情を殺す。使っていい言葉は「承知しました」「はい」のみ。
動く感情を動かさないことはなかなか難しいようだった。相手の台詞をしっかり聴き、受け止めて、しかし、感情を殺すとならなければ違う。相手の言葉を聞かないようにすることでこの課題をこなしている場面が多かったようだね。
H子が結婚しようと言われて、一瞬感情が動いて、それをグーッと押さえ込んだシーンはよかった。感情が動いた瞬間はありか、なしか、とあたしの課題だけど。
Y子が使っていい台詞を繰り返すことで感情を抑えた。これは形式的に見えてしまって、リズミカルであるが違うのではないかな。
この課題についてはM本は感情を殺すを演じすぎた感ありかな。音がベタな音で今回は違うよね、Dさん。(笑)
最後に恒例相関図。無対象の登場人物たちと共にドラマを進行させてみた。無対象の相手のとらえ方が漠然としていることがどうしても気になる。感情の波があ まり見えてこなかった。ただ、M本の開き直りは自然にそうなれた。それなら嫌味ではないものとして受け止められる。好みを言えば、あたふたする様がみたい けどね。
以上。