2012/01/23
創る幸せの中で。

月曜日。開かれた稽古場。参加者4名。音 Dub。今回は実感をしていくことと身体表現で、「記憶」を創ってみた。作品「らりるれるるる」作・演出 森島、即興音 Dub。出演M本、Mケル、Y子、H子。
この作品は音声言語として「らりるれるるる」という言語によって進行する。まず、弛緩と緊張の身体表現。これは感情のそれを象徴している。緊張は逃げると いう行動に繋がっていく。衝撃音が入ると「追う」緊張に変わる。恐ろしいほどの睡魔に襲われて、抗う。抗うが、深い眠りに落ちていく。衝撃音が入ると彼ら は目覚める。しかし、彼らは俳優の一部としての彼らではなく、何度生まれ変わろうともなりたくない彼らなのである。どうしようもない人々の吹きだまりは、 いやな空気と空間を産む。衝撃音。そこは灼熱地獄。灼熱地獄を彼らは歩き続け、やがて力尽きていく。衝撃音が響くと彼らは蘇る。彼らはさまざまな記憶の中 をいきつ、戻りつして彷徨う。
以上がざっくりとした流れ。台本は非公開。
今回はまだまだ実感が足りていないことと役作りが極めて不安定であることでノッキングを起こし続けてしまった。ダメを出し、繰り返してそれぞれに光も見えてはきたが、連続した作品としては成立には遠かった。
ただ、繰り返し、小さな点を埋めていくことでしか綿密な仕上がりは難しいとも想う。あたしは台本を書く以上、即興性を求めているわけではないので、今後は繰り返す稽古も念頭にと考えてもいる。
身体で表現することもまだまだ稽古の要を感じた。
続いて、身体表現。音と身体を連動させていく。声も身体である。というわけで、今回は参加する。参加するということは身体表現をするためではなく、参加者 の身体との共鳴を稽古したいのだ。M本の反応がよかった。声の使い方が技巧的過ぎる気がした。Y子はダンサーでありながら、開放が足りていない。共鳴した ときにきこえる身体でありたい。参加していると感じたものの感触を書くことしかできないので、あしからず。今後も己のために身体で表現していくことには拘 り続けていきたい。
最後は相関図。このところ少しずつ設定を変えてみている。そこにあるのは愛情でありたい。Y子のはっきりした愛情とM本の落胆がよくわかり、よかった。動く感情は決めるのではなく、流動的なものでありたい。
さらに鍛える。
以上。
どんなに多忙を極めていても開かれた稽古場のための時間は作りたい。ピンター研究会についてもそう想っている。そして、そのためには稽古から稽古までの間 の時間が大事だと想っているので、結局は休んでいる暇なんてない。けれど、創る幸せで漂い続ける。ピンターは愉しい。リアリズムと、役者としての表現する ということ、謂わば、「舞台上のリアリズム」を探っていることが愉しい。日常は決して舞台上のリアリズムではないはず。これからもそのあたりに着目して、 稽古で「加減」を探っていきたい。