2012/01/30
日々徒然

月曜日の開かれた稽古場は、参加者3名でじっくりと新作に取り組む。「なみだの海でおぼれてみたら」作・演出 森島 即興音 Dub 出演 松本渉・玉井英棋・H子
この作品は、なみだの風景を書いた。人が涙を流すシーンを連綿と綴る、哀しい芝居である。この芝居は笑いで幕を開ける。笑い転げる人々。そして、彼らは涙を飲み込み、堪え、涙を茫然と流し続ける。
それぞれにその時、あなたの心はどう動きますかと問い、その光景の中で見え隠れする表情を静かに追いかける構成となっている。
松本とひではひとつひとつを丁寧に追いかけることができた。溢れる感情だけではなく、抑える感情があること、それでもこれでもかと溢れてくる感情があること。涙を流すために演じるのではない、真実のそれがこの作品には溢れてほしい。
ラストシーンまでにそこには涙の海が広がっていくのである。
唯一無二のそのひとに拒絶される。泣いて泣いて追いすがるが、泣いて泣いて救いを求めるが、そのひとは遠ざかっていく。
破壊音と共に天井から縄。彼らは極めて早いスピードで、ためらいは一切なく、その縄に首をかける。
勢いよく足下を蹴り、首つりの木の態。暗転。幕。

この作品は心をたゆたわせ、耐え、その心の糸が切れることを素直に実感できなければ成立しない。見えない対象の極めて具体的なイメージが持てなければ、そこにウソが顔を出してしまうのだ。心を剥いで、むしり取って、観客席に投げていかなければならない。
H子はまず、心の鎧を溶かすことがまだまだ必要。表現することは大袈裟なものでも、自己顕示でもない。想像して、そこに己を漂流させることしかないのだよね。

続いて、奇妙な部屋。ふたつの演出プランを加えてみることで、面白くなった。
少しずつ掴んできたが、日常への戻りがまだまだ緩かった。アドバイス。
最後は恒例相関図。今回はM本、Hでのひとり二役。このふたりは素晴らしかった。ある意味類型的仕分けは試みとしてはまあ、ありかと想う。わかりやすかったしね。受け手のH子がタジタジ。次回は反応していくことが課題だね。
以上。
今週は「なみだの海でおぼれてみたら」を再演してみようかと昨日の朝まで想っていたが、やめた。新作にする。「独独カオス」

日々。今週は映像のナレーションが終わり、うちとしてはカンパケ。皆さんありがとうございました。何かひとつの仕事を終えた時、きっぱりと未練を残さず、お疲れ様といい合える間柄がいい。労う、すべての方に。
文化的音楽的文学的多感期に影響を受けた謂わば、仕掛け人とも言える方が火の海で死んだ。翌日、演出した作品に関わってくれた音楽やさんが孤独な最期を遂げた。胸に大きな石が詰まったような気分。
翌日はピンターを研究した。思いの外手応えを感じたいい稽古だった。決して器用ではないあたしは積み重ねてやっと、こういう感触を手に出来る。これからも重ねていきたい。
原発問題に絡んで、ドイツ行きの仕事が白紙になった。愉しみにしていたのに。
3月の朗読公演の稽古始めに行った。くちだてをする演出家に演出不在を感じて帰路についた。役者は演出の駒ではないんだ、コノヤロー。
さて、今週はどんな風が吹くかしら。北北西に進路を取るか?