2012/02/06
志気高き者たちが集いて。

冷たい雨。昨日は毎週の開かれた稽古場だった。随分久しぶりの若手からの参加表明があり、こんなとき、この日常訓練の場の意義を感じる。ねばならない場所という強制的ではなく、あくまでも自主性で続けてくれることが望みだから。
稽古場に向かう道すがら、山田ジャパンの主宰が稽古を見学にきてくれるという連絡が入る。こりゃまた嬉しい。俄然やる気倍増で稽古場に入ると6名の参加者。稽古場には魔物が棲んでいて、こうやって志気が上がる。
作品創りを続けている中、重ねる稽古の必要も感じているので、今回はまず、作品に必要な要素の課題から入る。孤独の叫び、5歳児、老人、拒絶。
久しぶりのAゴスのイメージ創りが好感触だった。あふれ出てそこに見えてくるものが表現となること。R音も丁寧にイメージを追うことができるようになったが、イメージを創るドライブ時間がまだまだ長い。特に空ぶかし状態の部分を埋めたい。
孤独を創るのではないとY子、H子にアドバイス。相互の反応をしてみた。M本、Hで、Aゴスの間に劇的なシーンが産まれた。Mケルも集中力があり、よかった。
五歳児の純粋さ。演じるというよりなりきりの課題。H子の弾けきれない感触が気になる。天井は上がり続けているので、上がるしかない。目指す地点は常に上へ上へ。Y子に思い切りが出てきた。もっともっと。
身体形骸化は幼児、老人にはどうしても欲しいところだ。声も身体だとすると声も大事。
拒絶が全体的に弱い。連続30連発。拒む、拒まれる。反応。
さらに煽り。20連発。これは全員よかった。だが、しかし、次第に笑いの要素が強くなり、前の組からのネタぱくりの連続はちょいと無精さを感じないでもなかった。H子VSY子がよかった。
ここにジャストタイミングで山田ジャパンさん登場。いきなりの作品公開となった。作品は「独独カオス」 作・演出 森島、音、選曲 Dub
出演 M本、Aゴス、Mケル、Hで、Y子、H子。
今回は人間の孤独の闇を追った。逃れようともがく。抜け出ようとあがく。追う。孤独の強制のための拒絶。身体表現と音と感情の渦。
6人の記憶の錯綜と時間軸の錯綜と心の錯綜は、混沌と闇に消える。
台本未公開。
音は3曲の指定をあらかじめお願いしておいて、あとは即興。
さまざまな孤独を今ここで感じていくことで産まれてくる混沌を。おそらくあたしが書く台本の意図は感じてはじめて腑に落ちていくのだと思って書く。
大袈裟な表現やウソのためのウソは排除していくことでしか産まれないものを載せていきたいのだ。拒まれ続けることで生じる心の闇を感じることができるかし かないのだ。Hでの著しい変化は特筆すべき。調子よく発せられていた言葉が目に見えて減っていき、涙を堪える姿は美しかった。M本もひとつひとつを丁寧に 追えているのだけれど、今回はいらぬ手柄欲が時折ちらほら。キレが悪かったかもね。
今回のMケルはいつになく集中していた。作品自体にのれたのかな。笑。
R音は連続した感情がまだ持ちきれない。途中で冷めたり、迷ったり。これをなくすためには稽古、稽古。Y子は丁寧に追えるのだが、感情の振れ幅が小さい。故に本領発揮できるはずの身体表現も小さい表現で留まってしまう。
Aゴスは感情をひたすら追う志は感じて好感ではあるが、想いが強くて自由に成り切れない感あり。H子は少しずつ感情を追えるようになっている。しかし、及 ばない部分をそれ風に埋めようとしてしまう悪癖が抜けない。これはどうしても無くさなければならないと想う。ダメ出しをしてわかったことはやはり、自己顕 示なんだよな。芝居は自己顕示では創れない。それだけは確か。
引き出していくために、台本に書かなかったシーンをひとつ入れた。でも、これはきっと不要な、役者のためのアイドリングシーンだと想っている。
音にもうひとつピークがほしい。ためらいが気になるな。
以上。
誰もが、俳優自身が予想しない化学反応が起こること、それこそ劇的だよね。
稽古後に山田ジャパンさんと芝居談義。志気強く、いい。
これからも志気の強い役者たちと高く高く舞い上がっていきたい。