2012/02/20
心の闇に堕ちていく

月曜日はあたしのライフワークでもある開かれた稽古場がある。この毎回のために新しい作品を書く。まだ、キーを打つ指が鈍らないので、続けようと想う。
今週も開かれた稽古場。新しい参加者を含め、新人2名、Hで、Y子、Mケルの5名。稽古場の前は銀座の歯医者と決めて通っているので、静脈鎮静で虚実ないまぜになった脳を抱えて稽古に入るあたし。
今回は稽古の前にこれまで参加していた2名の参加者から相談メールが入る。どちらも自己完結した内容だった。返信はこちらのモチベーションを下げず、書いた。返事は来なかった。ここは自由参加、一切の強制は致しません。これ、あたしの基本姿勢。去る者は追いません。
今回は作品「ひーとびーと」作、演出 森島、音 Dub 出演玉井英棋・Mケル・Y子・Kちゃん・Sちゃん

これは、暗闇に閉じこめられていく深層心理と行動を追った風景画である。
ただし、すべて目の覚めるような明かりの中で進行してほしい。
音は冒頭からエンディングまで軽やかなリズムを刻んでいてほしい。
台本非公開。

実感を追わなければ進めることのできない作品なので、止めて止めて進めることになった。いかんせん、Kちゃんは表面的なことばかりやるし、それだけで先へ 進めず、手を叩いて止めてしまう。それ風のことなんていらない。実感をしていかなければ、作品の恐さが途切れてしまう。玉井は止めても止めても、その次へ 繋いでいける。しかも、返す度に細かい修正がされて、よりよい表現となっていく。天才だ。Sちゃんはダメを出し、それは不要と言うと綺麗にトルことがで き、綿のような吸収力がよい。Y子は天井を抜けきる表現がまだ出来ない。となるとやはりそれはそれ風に近い。心を、身体を開放することしかない。
実感は日常レベルのそれではできない出来事なので、想像して、己をそこに存在させなければならない。暗闇に閉じこめられていく。その視界はどのように奪わ れていくのか?玉井以外は出来ていなかった。一筋の明かりへの執着。それは暗闇の中からの救いであり、藁であるはず。様式的なことは求めていくが、そこに 実感を伴えるのは玉井のみ。
脱出の勢い、叫び。必死ということ。必死に、本気で必死になってくれなければ成り立たない。敵意。緩い。戦闘。結局、様式の振付になってしまった。身体と感情の連動で身体能力を高めることを志しているのだよね。頼むよ〜
あたしの目に見えている作品。文字で書かれた作品は感情を持ち、蠢いている。それを観客席に提出できるものが創りたいのだ。
天才玉井の創り出した孤独な混沌だけが宙に舞っていた。
繰り返し、繰り返し、しかないか。
日記で予告した外郎売り。念のため、プリントも用意して配った。Y子は声を鍛えないとね。外郎売り、ざっくり覚えてはいるけれど、頭声でどうしようもな い。覚えてきてと宿題を出したら、覚えていくのが筋でしょ?小学生じゃあるまいし、宿題忘れました、はあたしは認めないので、よろしく。Sちゃんだけがプ リント一切見ず、だった。Kちゃんに至っては読んでもきていない。きつく叱る。
次回覚えてくること。
最後は恒例相関図。Hでがよかった。Sちゃんの反応もよかった。Y子がもっともっと愛情深くなることを望む。Mケル不調か。Kちゃんはすべてダメ。できないもんはできないの。やろうとしないなら、いつまでも何も手に入らないんだよ。

人の恋愛には無くて七癖ありまして、それでもそれは真剣で、変態は変態なりに同性愛は同性愛なりに、愛している、がある。
芝居の源流にも、あたしは愛なんて隠し味が欲しいのよ。
以上。

何を根拠にと四の五の言わず、あたしはこの稽古を組み立てている。
何理論かと問われれば、羊のしっぽ理論だ。
それでも、ここに来る役者たちは重ねて重ねて輝いていく。
これからも続けます。魅力的な役者に出逢う瞬間のために。