2012/04/02
彼女の人生

先週の開かれた稽古場は、役者としての素質とか感性とかに想いを巡らせながら、役者としてできなければならないこと「技術」に辿り着く。没個性の世の中と 感じることもある昨今でもある。が、個性とはもしかしたら誰でも持ち合わせている当たり前のものかもしれない。つらつら考えはじめると「技術」は避けて通 れないのがこの稼業ではないか、と。
声は鍛えなければ決して創られていかないし、身体も鍛えなければ、創られていかない。身体で表現するためには訓練された身体が必要。役になろうとすれば、 役を創ることができなければならない。日常訓練はそのための日常訓練であろう。
というわけで、書いた新作は「肖像画に髭を描いた」 役作りしなければならない作品である。さまざまな人間たちのるつぼである。参加者はHで・Mケルの2 名だったので、繰り返し、ダメだし、時に声も荒らげて進めたが、いかんともしがたい不発の結果となる。
とにかく、「できないこと」がわかる結果となった。
詳細は割愛。上を目指して。できるようにならなければ、いけないね。
稽古後の食事の席でもとある人物の物真似時間を過ごしてみる。足りないものは時間をかけて埋めていくしかないからね。
もう1本。奇妙な部屋を少し脚色した小品に挑む。ある1軒の空き家に入り込み、暮らしてきたふたりの男。しかし、この家の至る所に死体が隠されている。
号泣から発狂まで。
これはふたりとも丁寧に感じていけて、よかった。玉井がよい。Mケルもよい流れでいけたが、最後の発狂で形の表現をしてしまい、失速した。惜しい。
ただ、外から声を飛ばしていかなければ、次に展開していけない弱さがある。役者は駒になってはいけないのだ。
無対象相関図。無対象は訓練になる。続ける。
以上。