2012/04/16
創り上げていくこと

今週も教会への礼拝から始まった。なんて、ウソ。今週も開かれた稽古場から始まった。このところ、口の中で邪魔になっていた親知らずを立て続けに抜くため に銀座の歯医者通いを続けてもいて、それも月曜日の私的行事。痛みに人並み外れて弱いあたしがやっと見つけた銀座の歯医者さんだ。銀座の街をブラブラでき ることを励みに通ってきた。この街が大好き。芝居をやっていなかったら、この街にもっともっと来ていたかもしれない。人生いろいろなんて想ったりしなが ら。
開かれた稽古場。今週は本公演を終えたM本が復帰した。しばらく来ないなあ、と想っていたMかちゃんが稽古場前に佇んでいて、ニコニコと手を振ってきた。
感情の動きを丁寧に追いたくて書いた作品「さざ波の如く、ここ。」をもう一度丁寧に創りたいと考えてきたので、迷いなくそれを創る。ただ、今回はその先の課題も含めて2時間を連鎖できる組み立てにした。
まず、作品は45分。時間軸を刻みながら、感情が変化していく作品である。M本もMかもそれなりに出来るのだけれど、それなり、がどうにも腑に落ちなかっ た1ヶ月から3ヶ月への流れを止めて、創り直した。3回目でふたりの顔が変わった。そう、それを掴んでほしいと想うのだ。
1年後、3年後、5年後。もっと相手がみたい。あたしの書くものは感情のコラージュでもあるので、役者の感情の振れ幅が明確でありたい。
それは激しく感情表現をしてほしいということではないし、感情を見せてほしいということではない。「その感情」をしっかり持つことなので。見えるものはとても穏やかなものだったり、とても冷たいものだったりでいい。
今回の仕上がりは安定しすぎていたような気がする。
3ヶ月から1年のシーンの間に入る身体表現がどこかそれ風のもので終わり、つまらなかった。
続いて、疑いの課題。マイナスの感情では決してない。相手がどうでもいい相手なら、そこに感情は大きくは振れない。ずっと言い続けていることだけれど。
感情が爆発してほしかった。感情を殺したり、押さえたり、それが年を重ねることだとしても、役者は感情を動かす瞬間を埋もれさせてはいけない。M本に、それを話す。この課題の途中で、撮影を終えたMケルが来た。とにかく通う意志と熱意には感心する。まずはそれが大事だ。
同じシーンを交差させながら進めたので、感情の持続がまた課題になって、難易度を上げたかもしれない。Mケルの爆発はよかった。
Mかは最後に高まった怒りが明らかに後悔に変わってしまって、残念。家を出ていく人形の家のノラは「固い決意」をする。そうでありたかったね。
おそらく、「怒ってみせた」という怒りだったのではないか、と想った。
最後は変則、相関図を2連発。M本がキャラクター創りにおいては面白かったが、これ、そういう課題じゃないよな?ってところ。
以上。
最近、うちの稽古場以外で毎日稽古をしている。内容はさまざまであるが、1週間、市場に出掛ける日々よりも稽古場に通う生活サイクルは理想的だ。
稽古をすることが仕事になっている稽古は仕事としての責任もあるし、うちの稽古にも創り手としての責任がある。そして、役者として参加するピンターの稽古には役者としての責任がある。
昨日のピンターの稽古は演出から安定してきたと先週言われたことにあえて抗って、試す稽古にしてしまった。ものすごくそれはエゴなのかもしれないが、もっ ともっと確実なものを掴みたかったのだ。思いつきでピンター作品に取り組んできてはいないので、確信を掴むためにはどうしてもやりたかった。結果は、どれ もこれも違うな、ということだけがわかった。演出からも師匠からも呆れ顔と「不安定」を指摘された。
創り上げていくことをまた、考えさせられた。
そろそろ安定させなければならないのかな。気持ち悪い箇所を減らしていく作業がしたいのだけれど、それを稽古場でやるのは間違っているのかな。あれやこれや。
ピンター終わりで、寸暇惜しんで師匠や友人と酒を煽り、もうひとつの新しい打ち合わせに走る。友人の音楽家と友人の経営者を繋ぐ。仕組んだようだが、仕組んでいない企画会議になった。新しいことを考えている時間は夢中になれる。
何年ぶりかで逢った音楽家さんとスムーズに意思の疎通が叶い、いい時間だった。ここから、形になっていくことが待ち遠しい。きっと形になる。面白い企画が出たと想っている。執着していこう、何事にも。
音楽家の友人の動機つけに感心もした。故に一流でいられるのだろうと想った。