2012/05/14
自分自身、あるいはアイディンティティを問う。あなたは一体誰ですか?

うちの稽古場は経験値も表現ジャンルも問わない。芝居にごった煮の美学なるものを提案してみようかなどと実のところずっと考えてきた。少なくとも過去公演においては、その主義の元、芝居を創った。これはこれからもあたしの中の根幹に置いておく。
今週も娘の二人展が続いている。毎日誰がかが来廊してくれて、嬉しい感触メールをくださっている日々だ。芝居の受付でお客様を迎える仕事をしているあたし には、そこで迎えないことに申し訳なさを感じる日々でもある。それでも、自由な空間にふらりと立ち寄ってくださることがおせっかいではなくていいのかもし れない。
ありがたい日々、今週土曜日26日までなので、気軽に立ち寄ってね。ご案内を極力出したのだけど、住所のわからない方には送れていなくて、ごめんなさい。
というわけで、予想以上のお客様に感謝感激雨霰だ。
月曜日の開かれた稽古場の作品について。今回書いた新作は「忘却地図」。忘れる、忘れない、忘れたいという音声から始まり、忘却という絵を繰り広げてみた。次第に物の名前を忘れ、人の名前を忘れていく。そして、自分自身を忘れていくとき、人は一体誰になるのか?
自分は回りの環境や物によって、その存在理由を持ち得ているだけなのではないか?
空から降るものは雨である。しかし、それが何かを忘れてしまったら。空から思いがけないものが降ってくる。兎、鍋、そして、箸。べたつく飴。さらには人間たち。
自分を囲む環境が崩壊していく。そして、あなたは誰ですか?
シノプシスはこんな作品。音 ダブさん、出演 松本渉、Mと
松本は混沌に笑いを交えながら、望み通りに軽快な芝居を構築してくれた。あたしの作品を愛してくれる役者なので、あたしが書こうとしている世界を掴んでく れる。ラスト前は稽古場では公開はしないあたしの台本通りの言葉が松本の口から飛び出した。しかし、そこにあたしが求めていたアイデンティティの喪失は観 られず、もう一押しだったな。
三塁打。Mとは絵描き。そのMとにも問いかけたい本だったのだが、途中の説明の理解ができず、何かを理解しての先にあるオリジナリティを求めることは困難だった。
ごった煮の美学は拘りたいので、何とも複雑だ。
また書き、創ろう。
続いて、上げる、墜とす。まあまあ。
最後に相関図。
以上。今回は二人の参加者だったので、ダメ出しも説明も丁寧に出すことができたし、これくらいにしておいてやる。(笑)
ピンター研究会。今回はキツイダメだしの(笑)主宰Y先生はダメだしだけに回り、Y美先生の演出でピンターのある作品を丁寧に繰り返すことができた。参加者がふたりきりだったお蔭で。
細かい台詞の音のダメも貰いながら、言い直しをするというような稽古もした。
稽古場では次第に繋がってきたと思ったし、いい感触だったのだが、帰路、これが芝居だっけ?このピンター作品って、こういう芝居かしらと次々に疑問と己の 稽古への向かい方にも疑問が湧いてきた。あたしの演技には臭く、表現主義的なところがあって、これも活かしたいなあ、なんて思ったりしてね。枠に嵌る己が コワイ。
でも、演出の望むことができてなんぼ。ああ、もう考えるのはやめた。
混線したものはムリにほどかず、これ、きっと正解。ごった煮の美学。己の心持ちなんぞ、分析したって応えは出ないんだ。
深夜、話したくなり、師匠に電話をしたけれど、3回コールして切る。
とにかく、続けてみる。interestingな表現者でいたいんだ。
それでは、何だか稽古日記の指が進まず、もう次の稽古。稽古日記は欠かさないですんだ。mixiが閑散としてきたので、近々これまでの稽古日記をすべてホームページに移行する予定。
いきなり、mixiが消えないうちに。