2012/05/21
澄んだものたちと共にこれまでも、これからも

5月も終わる。今年の五月も寺山さんの命日参りで身体を清めて舞い、そこから始まった。
ゴールデンウィークのある日、娘の二人展の搬入と飾り付けで、はじめてのギャラリーを訪れた。真っ白な空間に娘が魂を込め、時間をかけて描き続けた絵が並んだとき、それらは息をしはじめた。娘の二人展の初日、親友卯月妙子からの渾身の漫画が届いた。
一気に読み、笑った。ホントは泣き叫びたいくらいのごった煮の心境だったはずなのに、大いに笑った。数日前から「出版社から漫画が届いたか?」と妙から何度もメールがきていた。一気に読み終わった頃「感想を聞かせてください」とメールがきた。
「軽妙だ。」と返信した。
日々、パソコンの横に卯月の漫画を置き、息抜きのように読み返した。そこには決して息抜きではない虚実ないまぜの世界が広がっているのだけど、心が真っ白になっていった。
毎日毎日娘の二人展を友人たちが訪れてくれて、感想をメールしてくれた。それらのメールに触れる度に心が洗われていくようだった。
先週は、「人生はやり直せるのか?否か?」と考えていたものを物語にして、作品を書いた。「思いでんでんどん」開かれた稽古場用。参加者は3人、見学1名。音 だぶちゃん。
稽古は止めて止めての作品創りになったので、詳しくは参加した人たちが持ち帰った。
今回の作品は、もうひとつの人生を生き直そうと足掻く人間を書いたのだ。ウソを重ねて罪を隠し続ける人間を書いたのだ。人生はたくさんのウソに覆われてい て、たくさんのウソに傷つくことにも慣れていって、ウソをついていることさえ忘れてしまったとしたら、とウソを重ね続けてウソで終わる物語。演じる側も観 客も、ウソの海の中で愉快とも不愉快ともつかない感覚になる。ウソをついては無心に踊る。音とウソとダンスの作品。
松本が丁寧にリアリズム芝居をした。ただ、それは違うと大きな課題をつきつけておいた。これから、表現することをもっと深く考えてくれるきっかけになれば嬉しい。
はじめたばかりのSちゃんにも同じ作品。難しいことを難しいと思いながら、挑み続けることは進歩をきっと助けると考えている。Mケルが今回は集中できて、よかった。ダンスも個性的で大好き。Sちゃんのリズム感覚のなさを知る。さて、どうするかな?
もうひとつ課題をやり、時間キレ。今年の初めに今年は少し繰り返す稽古で重ねる作品創りをしていこうと決めたので、こうして丁寧に創る稽古は得るものも多い。
ただ、作品に書いたはずの速度やリズムが無くなってしまうので、どうしたものか?
毎週1作品書き込むことで、創りたいものがはっきりしていく。それを稽古場で形にしていくことで、創りたいものがまたはっきりしていく。
音との共存がなかなか思うようにいかなかったので、今年はそこにも拘り、だぶさんにも要求をはっきり、そしてだぶさんはそれを叶えるための苦戦をしてくれている。
今回もウソの混濁を音の混濁でラストに繋げたかったが、まだ届かずだった。
こうしてあたしはもちろん、ここにくる役者や表現者たちが透明に澄んでいく。
歌稽古をはじめて貰うために上垣さんと生徒の面接にいった。身体中に音楽が透き通るような一流のひとときを得た。これはすごいと鳥肌がたった。
だから、友達にもこのレッスンを強く薦めた。
昨日で花の二人展は最終日を迎えた。最後の最後まで友人達が駆け付けてくれて、華やかに終わった。帰路、とある駅のホームで荒井良雄先生にバッタリ逢い、 途中下車して珈琲を飲む。目と目を交わして語った向こうの先生も透き通っていた。本日。搬出。真っ白な壁の穴を娘がボンドで埋めていた。真っ白な空間が 戻った。
芝居仲間たちが卯月妙子の漫画を読み、感触をくれた。
透き通ったものたちに触れて、透き通っていたいと想う。
いつまでも透明でいたいと想う。
それがきっと本物の魂。