2012/06/25
作品創りを目指してみる

今週もうちの開かれた稽古場から始まった。去年から毎回新作を書き、それを土台に稽古を組み立ててきている。さらに最近は表現として、観客に、つまり公演として提出していけるものという着眼点をさらに強化させて書いている。
うちの稽古場の参加者は経験値も活動している表現の場も、さらには役者に限らずダンサーでも歌い手でも芸人でも「表現者」であれば、自由に参加してスキル を高めて貰えればという場所と考えているので、あれこれに対して「まだ早い」とか「まだ無理だろう」という石橋は叩かない。そんなわけで求めるものは限り なく増えていっているのかもしれない。
叩いて、砕いて、繰り返しての稽古、作品創りになっているので、それぞれにとっては易くはなくなっていて、時にカリカリとする感触かもしれない。
今回は「夢見心地でJOKERを」作・演出 森島 音 森島
出演 M本W・U田R音・Mル・R・T井H棋・S木S美 
今回の作品はトランプゲームをしている人人の風景から始まる芝居。ちんどんやさんの、郷愁の音が人々の心を抉っていく。
繰り返し、止めながら創っていった。言葉の伝達と表現、身体表現、そして、土台には感情のコントロール。しかして、そこにはウソとまことの表裏一体。
もしかしたら、人は皆、ウソとマコトの境目で浮遊し、彷徨っていくだけなのかもしれない。そんな芝居。
とにかく、それぞれにノッキングをし続けた。たとえば、アンバランスな反応としての表現を求めるシーンがあれば、そのアンバランスを創っていかなければならない。
生理的な緩急は、表現として成り立っていかない。そこを調整してみたり。
デフォルメーションを体現してみたり。騙す、騙されるという感情を追ってみたり。どうせつくなら、劇的な大嘘をついてみようとお願いしたり。
わからないまま溺れそうになっているS美ちゃんに繰り返してみる。次第に出来ていった。R音が今回、とても自由でよかった。Hでの感性をそろそろテクニッ クに繋げていかなければと、作品を仕上げる段階になってくると強く思った。M本への要求はさらに高くなる。Mケルがかなり集中できるようになり、魅力的に なってきた。音は、あたしがイメージを追うために辿り着いた片手鍋とおたまで合わせた。共鳴する音が好き。
最後の最後、神経衰弱のカードゲームが観客への問いかけになるところにきて、それぞれの内面と表現がピタリと合い始めた。そして、暗転。最後の暗転が決まった。
作品創りのあとに短い休憩を入れる。短い休憩でここ最近、Hでが質問とも問わず語りともつかないものを投げてくるようになった。あがいて、足掻いて、きっと螺旋階段を昇ると想っている。考えてもうまくならないよね、できることを増やしていくしかないのだ。
続いて、奇妙な部屋。今回は役作りの課題、本来のリアリズムアングラ、そしてシュールな仕上がりを導くために、それぞれに役をつけてみた。役というより 「癖」からの役作り。役を入れ替えて2連発。2連発目にして、少しだけ「おかしな人々」が塊間見えてきたかな。基本的に役者個々、表現者個々の魅力あり き、とあたしは想う。よく論じられる役者、あるいは演技論ではあるけれど、あたしはそれぞれの個性を大事にしたい。しかして、それは魅力的な個性をまず身 に纏わなければ成り立たないことではなる、肝に銘じ給え。笑。
最後は恒例相関図。ただし、今回はS美という女優志願者のために変則課題。全員に臨場感が足りていない。はっきりした揺れがみたかったね。S美ちゃんはそこにそういう課題があるから、で止まってしまうため、想像力がまったく足りていないよね。
愕然だったり、茫然だったり、ある種、醒めていては役者はダメよ。熱情からのあれやこれや、じゃないかしらん?
以上。
つくづく想うのは、ここにくるそれぞれが欲があり、芝居が好きなのだということが、あたしには嬉しい。そう、すべてのはじまりはそれしかないのだから。
純度高くいたい。それだけ。

若い友達が言った。つまらない芝居ばかり。芝居辞めようかな。と。ねえ、どうして芝居をやってるの?どうして、この芝居を創ってるの?と肩を掴んで叫びたいことがままある。だからと言って、こちとらが辞めてどうする?と想うわけ。
演劇で革命は起こせるか? なんてね。いや、本気。