2012/07/02
原発反対 あたしは芝居で訴えてみる。

今年の2月の終わりに亡くなった中村美代子さん。何度かお邪魔したお宅でジュースを頂戴しながら、話した話はもちろん芝居の話と原爆の話。去年は原発の話 もした。あたしはあたしなりに長年戦争やそれに準じた虐殺や細菌部隊や人種差別、もっと広げれば差別そのものやのあれやこれやにあたしなりの考察や感情や 思想と言えば大袈裟なので、思いの先がある。
日常では言葉の通じる相手にしかこういう煙たがられる話題は選ばないのだが、何故か美代子さんとは劇場の受付でもご自宅でも深いお話ができた。そして、も ちろん教えられることも多かった。芝居ではシャイクスピアとピンターの蔵書をプレゼントしていただいたし、原爆関連は桜隊の資料をたくさん頂戴した。そし て、もっともっと考え続けていこうと思ったきっかけでもあった。先日、偲ぶ会に列席させていただいて、親しくさせていただいている役者さんと煙草をすいな がら話していて、つと想い出した。そうだ、この役者さんとはじめて逢ったのが、目黒の羅漢寺だった、と。やはり、原爆や戦争を考えさせられた戯曲「雑草の 生い茂る小道」のご出演者として、出来上がったチラシをお持ちしたのだ。講演内容に血湧く興味を持ち、拝聴させていただいたのだ。それが桜隊原爆忌の会で ある。
震災後の義援や発展途上国の子供達への義援、原子力発電所の問題、、、これらのテーマはまず関心を持ち続け、できることをしていくことだとあたしは考えて きた。何かに反対のための反対をしたり、批判をする人々が雨後のたけのこのように増えたような気もしていた。そんな中、今回の開かれた稽古場では「原発反 対」の演劇を書いた。
それを稽古の前に告知しておいた。役者とは不思議な生き物で、あるテーマが強ければ強いほど、そこにどうやってその思想の実感を伴っていくか、ということ があると思う。イギリス人にどうやればなれるか、なんてことも含めてね。それを言えば、自分以外の誰かにどうやれば実感を伴ってなれるのか、とかね。以 前、大好きな戯曲があって師匠にごり押しして、皆さんの協力を得て演らせていただいたことがある。「マーヴィンズルーム」 白血病、父親の痴呆、あたしの 役、その戯曲にはとことんの疑似体験をしなければできない課題がてんこもりだった。稽古場であたしは発狂した。それでも観ていただいたある演出家から「役 を愛しすぎている」と言われた。役者ってなんぞと思った。
今回、それぞれがあたしの告知をどう受け止め、何を考えて稽古場にやってくるだろうか、というところからの稽古だった。
道中ある役者に逢った。彼も、今日の告知に対して、彼の想いを少し話してくれた。
作品に丁寧に向き合って欲しかったが、まず作品ありきにはしない、日常訓練の稽古場であることを踏襲しなければと自分に言い聞かせた。もしかしたら、告知 をみて今日はやめた、と来ない役者がいるかもしれない、しんどいもん。
ところが、6人プラス見学1名がいつも通りに来た。今回結果だけをかいておけば(それぞれへのダメ出しとお願いは稽古中に行った。)それぞれに考え、集中 し、言葉に刺激を受けて、創ることが叶ったということ。原発に反対する人々として、作品の中に存在してくれたHで、M本。途中のY子の涙、怒りのエネル ギー。推進派と断言したMケルの「人殺し」の声。
今回の作品は押しつけである。それでもメッセージを発信することは芝居を創るあたしのひとつの役目なのだということだ。
社会派芝居を創ることが目的ではない。ただ、観客席のたくさんの心を揺り動かしたい。それは、反動でも構わないのだ。
活きた芝居作りがしてほしいし、したい。エネルギーを発散し、吸収しながら進めた稽古は、よかった。
稽古後の食事が喉を通っていかなかった。それぞれは、何かにまず興味を持ち、関心を持ち、学び、考え、思想を持ち、自身の立ち位置をしっかり見つけて立っ ていてほしいと思う。
軸足がしっかりしていれば、どんな風にもぶれることもできるってことよ。
役者稼業、芝居稼業、血の池地獄のように、やるべきことが湧いてくる。精進、精進。
後半は煽りと賞賛。反応が面白くなりつつあった。
1000本ノックだね〜。
最後は恒例相関図。面白いのだが、心の葛藤が色濃くなりたい。深い芝居にしていきたいのよ。