2014/3/17
春の訪れを感じた一日。もうすぐお彼岸か、、お墓参りにもいかなくちゃ。開かれた稽古場より帰宅。今回は、皆来週からの公演の稽古、4月頭の公演の稽古、映画等で、あたしの稽古にしちゃえ、と想っていた。というわけで、いつものように台本は書いたが、1月に演ったひとり芝居の連作とも言える作品にした。あれは横浜にいた伝説の娼婦メリーさんを下敷きに「あるおんな」を投影した本だが、今回はひとりぼっちになったホームレスとも想える老婆の物語。彼女が抱えた記憶の断片。
稽古場についたら、やっぱりひとりだったので、3部構成で1時間。怒りと悲しみの「歩く」、作品、修羅になるの身体表現まで。
作品をもう一度演ろうかなと想ったが、軽くダンスしておしまいにした。
音のDubちゃんと見学&撮影の花と三人の稽古場、あたしに巻き込まれて可哀想な家族。笑。帰りの車中、食事中もあそこはああして、あそこはこうしてと反芻してみたが、特にここに記すことでもないので、今回は作品、使用曲公開のみで。手応えのある作品だったので、仕上げていける機会があれば、育もうと想った。修羅になるの音が良かった。
★動画は 身体表現。「なにもかもが幸福論のようで」

『ある晴れた日に、思い出すことつれづれに漂うなら。』
作/選曲/出演 森島、音 DubMasterX 、撮影 花
客電落ちる。
明かり。 老いた女、男。所在なげに佇んでいる。
ぼんやりとあたりを眺める。 しかし、その目は焦点が定まっていない。
鳩が舞い降りる。少しだけ、その目が定まり、鳩を眺めるが、次第に目の色をな くしてしまう。
鳩が飛び立つ。
ゆっくりと手を伸ばし、空を切る。飛び立っていく鳩を眺める。
「飛行機」
空を見上げる。
「ある晴れた日に」 しかしその声は途方もなくか細い。
必死に何かを思い出そうとするが、その記憶の扉は閉ざされる。
ゆっくり歩き、しゃがみこむ。 ふたたびぼんやりとあたりを眺める。
もうひとりの老いた男、あるいは女に気づく。
ぼんやりと極めてぼんやりとお互いをみる。
「ああやって、いつもここにしゃがんで空を見上げているのは、わたし。あれ は、わたし。 あの日からずっとあれは、わたしの姿。ある晴れた日に。」
悲鳴。
うずくまり、立ち上がると、女あるいは男は50年若返っている。
にこやかに小さな子どもの手をひき、愉しげに歩く態。
鳩を眺める。子どもの目を覗き込み、愉しそうに笑う。
「ある晴れた日に」
身体表現。「なにもかもが幸福論のようで」
使用曲 寺山修司 ラジオドラマ「コメットイケヤ」
http://www.youtube.com/watch?v=5n7c5h75Ae8
言葉。「わたしの幸せ」「充ちたりた午後」「我が子」「幸福論」「ある晴れた 空」「記憶を覗く」「記憶を抉る」「わたしのあの頃」
「ある晴れた日に」 空を見上げる。
子どもがブランコに揺れている。
突然、ブランコから子どもが跳ぶ。
手を伸ばす。まるで儀式のように、手を伸ばす。
「誰か、、、」
「ある晴れた日に、時が歪んだ。空が歪んだ。わたしの心が、わたしの人生が歪 んだ。」
地面に叩き付けられた鳩を拾う。
「空を飛ぼうなんて、かなしい話しをいつまで考えているのか。ああ、人は昔、 昔、鳥だったのかもしれないね。」
「わたしはただ眺めている。晴れた空と叩き付けられた鳩。」
ゆっくりと我に返り、号泣する。
身体表現。「連れ去られた時間を記憶に閉じ込めてみる」
使用曲 モーツァルト
http://www.youtube.com/watch?v=wLGkd-yK0b8
言葉。「ある晴れた日に」「ある晴れた日に」「ある晴れた日に」「叩き付けられた鳩」
手を合わせ、祈る態。
立ち去る人々。
「さようなら」
「ある晴れた日に」
ぼんやりあたりを眺めている。
次第にその目は力を失い、焦点をなくしていく態。
「1年が過ぎる。5年が過ぎる。10年が過ぎる。30年が過ぎる。そして、ま だまだ時が動き続けているのだから。 時は止まらない。だから、わたしは」
「起こらなかったことも起きてしまったことも、わたしは記憶の中でごちゃご ちゃに混ぜて、 時の中でこうして佇むしかない。」
「ある晴れた日に」
悲鳴。号泣。
暗転。
「ここに最後に残る記憶がわたしを漂わせる。」
客電。
「人々が立ち上がり、劇場から去って行く。あの公園の老人の呼吸も止まった。 永遠に、記憶は蘇ることはなくなった、」
以上。
こうして誰も来ない稽古場も数年ぶり。いい稽古だった。贅沢なひととき。