2007/11/06
演劇ってナンだろうとか芝居って何だろうとか演じるってなんだろうとか観客席は何を求めているのだろうとか時代は何を求めているのだろうとか

雨が降り出した。もの凄い疲労困憊だ。いい一日だった。感じて、感じて、気絶しそうだ。といいセックスの報告はできないが、稽古を2つ。まず、あーでもこーでもですでに長い曲がりくねった道だったような、「メアリー・ステュアート」稽古初日だった。お昼前からの稽古だったので、買い物やらなんやらと早めに稽古場に到着する。稽古場のそばに早く着いているのは、昔からの習い性。少しずつ気持ちが高ぶり、落ち着いてくる。R子の声もセリフもどかんと落ち着いていて、驚く。鳴呼!熟成してきたな、と少しやきもちも焼く。これは楽しみだ。 さて、演出の演出もはじめてきく。なるほどね、セリフか。メアリーと乳母の関係性、エリザベスと侍女の関係性。それもセリフの音なのかしらとあたしにはピンとこなかった。だけど、それも大事な芝居の要素なんだろうかも。 セリフ術もあって、その人の存在ができれば最高だよな、と想う。高きを目指せるだろう、R子なら。けれど、どんどんふたりのセリフが固くなっていく通過点だ。心は?気持ちは?と逸る気持ちを抑える。少しずつ、少しずつ、きっといいものになるだろう。 途中、仕事の面接を無事、制約させて、浅草橋へ走る。Kちゃんはここがはじめてだからと気にしていたら、電車を降りたら、目の前にいた。 誘導しているつもりが、駅の周りで反対へ進む。途中で気づいて無事到着。 10日後に公演を控えたNちゃんはすでに倉庫の中にいた。この素晴らしさ。 そう、この稼業、怠けることはいくらでもできる。ここで走ってくるNちゃんのプロ意識と死語となりつつあるハングリー精神、これが当たり前にならなくてはね、日本の演劇人達よ。 音を身体に浸透させる課題。今日は思い切ってあたしの好きな音を相方に用意して貰った。ほとんど心臓の鼓動のような、雨だれのような音だ。 あたし自身は身体にリズムが見える。これはよかった。身体と身体の連鎖反応。いずれ叶えば、いい演劇的な蠢きとなるはずだ。いつかそれがみたい。目指す。 発声。はじめてのYにもう少し丁寧に教えてあげればよかった。皆の声がとても出始めたので、ついそっちに耳がいってしまった。しかし、こつこつとこつこつと続けてほしい。すごい声がかならず仕上がっていく。 いい声の空間だった。 エチュード28連発か?愛情表現と死を繰り返す。正解はどれでもなく、感触だと話す。相手が変わることで無限大のシチュエーションがあるはずだと信じて、続けたい。はじめてのYがよかったなぁ。Nちゃんはどんどん感情のポケットが開いていく。くやしい。あたしもやれる場にしていかないと。焦る。 うちの女優Kの第二の感覚をもっと確認していこうと想う。性を越えた怪優をめざしてほしい。 Tえが、やっと芽を出し始めた。愛情表現もいびつではないストレートなものを見せてくれた。すぐ女同士に走るのは理解に苦しむが。ご愛敬だ。 Mもとは答えをみつけにくい魅力がある。どっちの方向にひっぱればいいのか。素敵な笑顔をみてしまって、悩む。感情の壁が溶け始めた。しばし、あたしも悩むことにする。 ひとつずつ素直に吸収し、素直に伸ばしているN山さん、目立ったシーンはないけれど、それでいいのだと想う。積み上げてほしいと望む。 死についてのエチュードは難しい。次回、さらに繰り返してみたい。 体中をさすり続けたKちゃんの仕草に劇的なものを感じた。よかった。 今日はセリフはなし。歌を同時に歌う。相乗効果で、それぞれの声が伸びる。 この感覚は大事だ。 最後は、泣く。目指すは号泣。それぞれにどうだったかな。あたし自身は泣くということにはいくつかの波があり、さらに泣いていく己を意識した。なさけないやら哀しいやら、イメージしていたイメージが混沌となったとき、あたしの声は呻きのように聞こえた。 さらに追求だ。 今後も、あたしは本物の感情を繰り返していきたいと考えている。しかし、到達点はいかに演劇にしていくかということにある。 俳優それぞれもそんなことを心に留めて、進んでくれたらいいのかもしれない。