2015/02/23
稽古場から帰宅。今回は久しぶりに初参加の希望ありでマンツーマンの発声レッスンをした。歌い手さん。声はあるが不確実な状態。45分のレッスンで良い声を持って帰った。続くといいね。
その後は開かれた稽古場。ギリギリに参加あり。こちらもマンツーマンになった。参加していた若手3人が新しいユニットを立ち上げると言うので、せめて日常訓練だけは続けて欲しいと想ったりしているが、来ないね。そのうちの一人だけがやってきた。じっくり稽古。細かいことは伝えたので、稽古内容と今回の作品についての徒然を綴る。まず、実感から動く感情を動かすための訓練。「死の出逢い」10連発。死という括りの中でシーンを連続して繋いでいく。さまざまに心が動く。シーン創りのコツを話す。「劇的で在り続けるために」ということを話す。続いて、感情が動いたところで「死の出逢い」の身体表現。これはとても良かった。内に内に向かい、集中できた一部を動画公開する。この集中でたとえばまずは、3分間の身体表現ができるようになるまで、精進してほしいな。
後半は作品創り。初見の即興を繰り返してきたが、最近はじっくり作品を創っていきたくなったので、少々軌道修正をしている。
今回は監獄に囚われ続けている男の物語、閉じこめられて追い込まれた状態の中で男の見るもの、聴こえるものはすべて幻のようなのだ。自分に問いかけ、聴こえないはずの幻聴に怯え、時間さえ見失った男は言う、「今は西暦何年ですか?」そして、己で答えを探せずに「わからない」とつぶやき、また放心していく。彼は過去に戻り、恋人を殺す。死んでしまった恋人に「こんなに愛しているんだから、死ぬな」と言う。極限の身体描写の後、男は言うのだ。「夢を見た」と。
夢なのか現実なのか、囚われた男は徘徊し、放心し、狂っていくのか。そして、男は言うのだ。「僕の中のもうひとりの僕がしたことなのだ」と。だから、「僕は何もしていない」と言うのだ。
繊細に追い続けて、創っていきたい芝居だ。躍進中のDキともっと深めたい作品だと想った。初見の荒削りではあるが、希望をみた。
これまで多くの役者たちがここにきた。芝居から離れていった人々もたくさんいる。日常訓練は絶対必要条件。開かれた稽古場は日常訓練のできるジムとして続けてきた。少しでも日常訓練の習慣づけに役だってくれている役者がいたなら嬉しい。要は、役者個々の意識の在処を問い続けてきたのだ。生涯の生業として、責任をもってこの道を歩き続けてほしいと希む。開かれた稽古場は2015年4月末をもって終了する。
また形をかえて、あるいは己自身のための場を実現していこうと想う。
4月までは毎週月曜日、開いていくので、参加どうぞ。
★作品より動画公開する。(出演 松原大貴)