2008/09/02
門戸を開くということで、開かれた稽古場と呼称する


本日開かれた稽古場から帰宅。稽古にエネルギーを激しく使うので、少しの日本酒で酔う。少し眠る。この稽古場は本物の俳優になるための日常訓練の場である。自由参加で、門戸を開いているので、さまざまなスタンスの参加者がやってくる。あたしは参加し、得るものがあると想えば、来てくれればいいし、かなりきつい訓練を時間中、一気に提出するので、それぞれのペースで参加してもらえるようにと考えている。けれど、ここは俳優に必要なさまざまな課題を身につけてほしいのであって、けっしてあたしの何かで洗脳したりする自己啓発セミナーではない。
本日参加者7名、うち初参加2名、見学3名。はじめての参加者、回数重ねた参加者問わず、ゼロ地点から俳優に求める感情、声、身体の話をする。
まず、空間を感じ、慣れるために歩く。そこから、イメージをもっていく。想像力。イメージを見る訓練なので、まずイメージを持つことを求めている。強いイメージを細部まで想像するための訓練である。Mもと、Yきはイメージをすぐに持つことができる、こちらに伝わってくる。そのイメージの広がりをこれからのテーマにしたい。Kさわくん、ずいぶんはっきりとイメージをし、それを追えるようになった。しかし、どこかそれは強要されたもののような息苦しさがある。もっと自由に、羽ばたいてほしい。Kたろうさん、イメージをひたすら追えばいい。このあたり、まだ集中していない。N山さん、イメージを形にしてしまう。それはないものを無理矢理引っ張りだす印象。初参加Sたくん、あきらかに頭が先行している。あたしが観たいのは、自然に溢れてくるもの。U杉さん、とまどっているまま、縮こまっていく。まず、この演じる空間に歩くことでいいと想い、見る。
再度観客席に対して、正対してイメージの訓練。一列に並び、開始。Sたさん、どうしても頭で考えているのが一目瞭然。何かをやろうとする。このスタンスでは苦しいはず。心を動かしてほしいので、しきりに働く頭はいらない。
Yき、グイグイと突き動かされていくため、その見えているものは爽快。Mもと、それをどう見せ手いくかを考えてほしい。Kさわくん、体のぶれは迷いと照れだ。取り除きたい。U杉さん、指先がほんの少し動く。イメージをすることがまだまったくわかっていないように、動けない。しかし、まずここを通過すること。久しぶりに立ちすくむ俳優修行者に逢った。演じることへの畏怖。これは必要なこと。もしかしたら、糸口がほどければ、面白いかもしれない。
この動かないU杉さんのイメージを他の俳優の参加で動かしていく試み。発露してくるものが弱い。だから、懸命にとっかかりを探す。この集中が肝心。Yきが触れる。Kさわくんが触れる。それぞれがイメージを広げ始める。いきなり強い反応のU杉さん。しかし、瞬発的で失速する。爆発するように溢れるそれは強いものがあり、面白い。さて、これを表現として、俳優として、どうしていくかだね。Sたさん、手探りしながら加わる。Kたろうさん、しかり。シーンを創ることにそれぞれが動いていくので、リアリティが逃げていった。
シーンをドライブさせるときに誰かの発想にのってしまうことが必要。つねに柔らかく動いてほしい。
続いて、感情の訓練。強い怒り。強い怒りを持つ。怒りの対象をもつこと。心に感情を持つことの意味。とにかくその感情が溢れるまで。Mもと、いい。Kさわくん、自分を煽っていくことを掴んだ。しかし、それは怒るということとは少し違う。N山さん、Kたろうさん型にハマっている。心を怒りの感情で満たすことなのだが。Yき、怒りがあがると自然に声が出る。強い怒りが伝わる。しかし、次第に過度の声になるような気がした。Sたさん、この課題でもしきりに頭で考えているのがわかる。それはある種の疑問なのかもしれなかった。疑問を解き放ったときにわかるものが、あたしの掴んでほしい感情なのだが。ときどき、こういうスタンスの参加者がくる。この疑問を取り除くところからこの稽古に参加できればと想う。ただ、投げ出さずトライしている。
演劇的に他者と会話する。演劇的、あるいは劇的とは何か?各自、問い続けてほしい、あたしにとっても終わりのない課題でもある。
まず、ストレートにこの感情で他者と絡んでいくこと。Kさわくん、N山さんにぶつかりが見える。Yき、こういう絡みをやると恫喝になる。これは生理的に心地悪い印象だ。
続いて、深い悲しみ。これも対象、イメージが必要。泣きにいくのではなく、心を悲しみで満たしていくのだ。人が悲しいとき、泣き叫びはしないとあたしは想っている。しかし、悲しみは悲しみとして伝わってきてほしい。伝わらない。感じる強いものがない。その感情を声にしていく。U杉さん、白旗。気持ちが動かないではなく、動かしていくことだ。Mもと、Yき以外ダメ。その感情を声にするのだ。言葉ではない、その感情の声がほしい。
さらにエチュード。死に直面する。反応。もちろん、心の動き、蠢きが観たい。今日、感じたのは想像力のまだまだの貧しさだ。芝居では死を扱うことが多い。そこに本当を感じさせるための過程だ。ひとりずつ、大切なひとの死。
俳優の修行、つらい感情をこじあける必要もあるとあたしは考えている。
想像でもいい、記憶の覚醒でもいいのだ。Kさわくん、素直に感情とイメージを追ってきた彼に壁。できたことをなぞろうとしてしまう。これは落ちてしまう落とし穴だ。まず、つねに新しい瞬間として課題に取り組むことだね。
Yき、発見は秀逸、が、そのあとの反応が雑で驚く。感情の変化を丁寧にね。
S田さん、頭、頭。状況を文字で書くようだ。その殻をさらに破りにいけるかどうか、それはあなた次第だ。テクニカルな「見え方」のダメを出して、再度。言われたことをとにかくやってみるしかない。
そこにくる背景についてのアドバイス。どこまで腑に落とせるか。
Kたろうさん、少しずつ動き始めた。まだ伴う迷い、照れ。取り除きたい。
U杉さん、想像する、記憶を覚醒する。まだ何も実感できていない。心を何とか動かしてみたい。
N山さん、とにかくムラがある。次の表現、繊細な表現になかなかいけないなあ。Mもと、発見の瞬間が緩い。はっきりとしたイメージが見ることができて、次にいきたい。
あきらめの吹きだまり。あきらめの感情を持った人が集まってくる。感情は無数である。感情への探求が必要と強く感じた課題。人はあきらめるとき、どんな付帯的な感情が生まれるのか?あきらめは執着と背中合わせでもあるとあたしは想う。ピンとこなかった。
続いて発声。ブリッジによる声の受け渡し。俳優に声は絶対条件だ。
Kさわくん、ダントツ。鍛えている。日常訓練をしてほしい。
続いて、泥酔。誰も彼も、のようなもの。泥酔者を観察する、自身で泥酔してみる。研究が足りない。酔った芝居も多い。それだけに本当に酔いたい。誰もできていない。
再度、酔ったときの歩き。酔いの実感をしてほしかったが、どうしても酔ったような演技になる。そんなものはいらない。日常の再現、物まね。その先のオリジナリティが欲しいのに、暢気すぎだよ。
再度、泥酔。シーンを動かしたかったが、叶わず。もっと観察し、身につけてきて下さい。
あまりに嘘っぽいシーンにしかならないので、吐く要求をしてみる。あたしが望むのは奇をてらうことではない。実感なのだ。酔って吐くとき、の実感。吐くことが目的ではない。
セリフ。モノローグのセリフを同時に。声をせりふにつばげて、N山さん。
続いて、奴碑訓。Mもとダリア、Yき下男。勢いだけ。プランを話す。次回に期待だね。どの言葉も流してほしくない。
Yきダリア、U杉くん下男。Yき、アイディアのみでダメ。創り込んで下さい。
表面的。
N山さんダリア、U杉くん下男。う〜む、N山さん、セリフはセリフになってしまう。ここが稽古の活かしどころなんだよ。想像し、言葉を言うのだ。
やりたいことを叶えるテクニックがない。教えられることは教えていきたい。
N山さんダリア、Sたさん下男。彼の想う演劇がやっと活きたかな。中身が埋めたいのだけれど。寺山修司の戯曲は言葉が強い。そこをそれぞれの人物像をはっきりさせたい。それがあたしの望み。
身体表現。音を身体に取り組む訓練。今日の音はあたしの大好きな無音という音の連続。いいね。
やはり、無音は止まる俳優たち。無音に音を聴いてほしい。アドバイス。
Mもと、Yき、表現になっている。Kさわくん、身体が動き始めた。kたろうさん、集中していきたい。Sたさん、ここにきて、どうにか自由になる。今日はどうしても頭先行、形に走るで終わりそうだったが、身体表現は少し納得。
N山さん、音ととけ込んだかと想うと形に走る。融合していきたい。ゲジゲジ。
恒例相関図。愛情表現。愛情から派生する感情の発露。ずるさ、汚さ、そこに見える愛。これがあたしのまず求めるところ。
それぞれが感情を動かし、計算し、複雑に絡み合いたいものだ。
U杉さん、これはよかったね。経験値ではない勘のよさが見えた。そこから先、どう動いたか、それはまたにして止める。終了。
執着してくれる俳優に出会いたいから、まだまだ開いていこうと想う。
きつければここへは来なくなるだろう。疑問をもてば、来なくなるだろう。それでも、開いていく。あたしが求めるものは正しいから。
食いついてくれたら、いいのに。
というわけで、来週も稽古します。稽古には終わりはない。先へ、前へ、上へ進むために。