2007/11/12
表現者のための日常訓練であること

開かれた稽古場だった。日中は「メアリーステュアート」の公演の稽古だった。稽古は本読み中。稽古を聞きながら、表現することにつらつらと思いめぐらす。 西から東へ稽古場を走る。稽古場への道すがらに気持ちを整えて、変態公民館へ。今日の参加者が集う。今日はあたし自身、より演劇ということを考えていこうと思ったし、各人のひっかかりを遠慮せずに引っ張り出していこうと決めた。 まず、身体表現。音に身体を連動させるための稽古。筋肉のひとつひとつ、関節、身体各部への意識を高めたいという目的もあり、音を身体に取り込み、身体を楽器にしていきたいという目的を先にもつ。五感の意識を研ぎ澄ますこと、耳で聴き、身体に響かせていく。ダンスとは違うので、振付もない。ただ、各自の身体の芯がぶれる。身体の芯は常に意識したい。あたし自身は天井の低いスペースを利用して、箱の意識から音を身体に落としていってみた。音と身体の連動ができたとき、それは表現になる。今日は随所によい融合を見ることができた。これが連鎖していきたいものだ。はじめたばかりのYやMはまだこの課題そのものが何をやればいいのか、といったところからのスタートだったが、Yは音の素養があるのか?なかなかいい。水のように揺れた。 それぞれが早い時期からお互いの身体を連動させてしまったのは、失敗。やはり、ここも連動していきたい。声の導入。声を入れるとそれには連動してくれるのだが、自発的な声が出ない。音と声の共鳴、不調和。この面白さにそれぞれの耳が気づいてほしい。発声。それぞれの声がかなり強くなってきた。声を鍛える。とにかく、鍛える。今後、声の出ない俳優はうちの座組には出てこないところまでいけるはず。とことんいきたい。喉を鍛え、声帯を鍛え、独自の声を作っていきたい。セリフにこの声をつねげなければ、発声を観客に見せるわけにはいかない。セリフの強化もしていきたい。今日は滑舌の連動。すべて、連動したものでやっていこうと思う。他者からの影響を身体と心に刷り込むためにも。芝居は決して個々ではできないという観点より。 感情表現、エチュード連発。愛情表現、憎悪、嫉妬、嫌悪。愛情の強さが後の憎しみの強さにも影響していくのだな、と収穫。今日はシーンを止め、演技の修正も加えながら、成立するシーンを目指す。ベテランのNちゃんの感情が繰り返すうちに細かく見えてくる。こういうことだ。Tえにときおりとても優しい表情、つまり優しい感情が見えるようになった。身勝手ではない愛情表現になってきて、非常に嬉しい。 Mもとの表情が動き始める。視線が自然に動き始める。心が動き始めている。Yはとても繊細な内面を持つ。ただそれだけが流れ出る。これを演技まであげたい。シーンを繰り返すことで、はっきり感情ができていく。即興と稽古、ともに重要だ。瞬発力と確認ということだろうと感じた。それぞれの身体と感情が少しずつつながってほしいと思う。Nちゃんからも経験値による癖が取れ始めて、尚、よい。心が動いて、セリフが言えるだろう。周りの俳優たちはその変化がわからないと言う。けれど、小さな点がひとつずつ埋まるのだ。これが表現の醍醐味だ。 時間があっという間に終わる。それでも得るもの、貰う課題多い。少しずつ、積み上げて、表現にしていきたい。 日常訓練は表現をすることのためにあるのだから。開かれた稽古場
是非、参加してみてください。
心が動きます。