2008/09/22
ただそこに居るということ



開かれた稽古場の帰り道、メール着信あり。今日はリンカンのキャスティングで
主宰がある俳優に逢っていた。ちょうど稽古時間と重なり、同席叶わず。高鳴る心臓で、メールを開く。朗報だった。嬉しかった。
山あり谷ありのキャスティングだったが、あとは出口が見えてきた。今日の俳優さんは以前からいいな、と想っていた方。先日観た舞台でも彼は確実に舞台の上に活きていた。一緒に仕事ができることが、嬉しい。
本日の開かれた稽古場、ここで踏ん張ってほしいところで、がくんと参加者が減る。わかったつもり、できたつもりで理屈を言っている間に、こつこつと積み重ねた者が一瞬でもいいものを観せてくれていること、こわくないのかしらん。
参加者5人。見学2名。今日は自由とただそこにいることを極めてみることにした。少ない人数だったので、できるだけアドバイス、繰り返しを入れて進めた。
まず、イメージの訓練。シャッター前からイメージを追って歩く。全身に無駄な力を入れずに、イメージを追う。とにかく、何かをしようとするなと何度も言う、個別にも指摘する。想像力が音を立て、色鮮やかに動くようにするために。無駄やよくあるような仕草やふりを取り除いてみる。
Hで、イメージがはっきりしない。はっきりしたイメージをもっていないからだ。Mもとは表現することに引っ張られすぎる感。もう一度イメージをはっきりさせること。N山さんはこちらの指示をやろうとするのだが、見事にいろんなところに力が入る。手足を縛って、稽古をしてみたらいいと想う。Sげ田くん、稽古場に入り、シャッター前に立ったときの顔がよかった。これまでの頑固が全部抜けた、たまごのような顔。素敵だった。そう、ただ、そこにいればいいんだよね。歩きもよかった。ただイメージ飛行ができたら、こっちがわも楽しい。身体を心を縛るのではなく、自由にしてあげること。舞台の上をただ、歩くこと。役が云々以前にかならず身につけなければ。何色にも染めれないのだ。あたし自身の経験を言えば、いつでもかっこつけていた。舞台の上では奇麗でいなければと想っていた。あるとき、想った。みっともなくてもいいじゃん、と。早く、早くそう想っちゃえたもん勝ちだぜ。そうなれた時、手足も心もものすごく動き出すのよ。
Kさわくんは表情が動くようになっているし、彼独特の歩きが愛すべきものになってきた。もっと自由に。たくさんたくさん、見えてくるといいね。
続いて、これを身体で表現する。決まりはない。自由なのだ。どんなに不格好でも、ちぐはぐでも、そこにイメージがあればいい。絶対そうなの。
究極はだ、る、ま。もっと独自の表現がみたい。Mもとはよかった。そうね、これが人間?というような、表現がみたい。開放とか自由とか、それは、各自のイメージを箱に閉じ込めていくようなこと。
今日のイメージ訓練はミザンスを決めた。舞台の上には決まりがある。いかにして、その地点にたどり着くか。これ、あたしも苦労してきたこと、でも肝心。自由を手に入れたとき、舞台の上の決まりが身体に入ってこなくなる。これは防いでいきたいからね。あれもやってこれもやってなのだからね。
今日は感覚的な稽古日記になると想う。それぞれへのダメだしは稽古中にもできたので。
続いて、感情の訓練。まず憤怒。激しい怒りを心に持つ。動きを指定する。シャッターに向かって歩き、振り返る。全体像としては、いいものができた。
しかし、その感情の出し方に問題がある。声や言葉で、自身を煽っている俳優がまだ多い。そうではない。心を怒りで満たすのだ。感情を勘違いしていかないようにしたい。何に対して、どうして怒るのか?具体的に原因を作る事だ。
怒りの表現をするのではない、怒りを身体(声も含め)に滲ませるのだ。よく腑に落としてね。それが結果として、表現になるということだよ。
Sげ田くん、Kさわくん、表面に何かを出そうとし過ぎ。Hで、形ばかりにとらわれ過ぎ。N山さん、心にあるマグマが弱い。
さらに怒りを膨らませて歩く。動きにも変化が観たいのだが、出てこない。心と身体を連動させていこう。手を打ち、劇的に会話。つまり、怒りをぶつけ合う。さぐりあいがいや。再度、ぶつかる。もっとぶつかっていく。そして、反応だ。Hでくん、Sげ田くんがよかったので、切り取る。その感情でのシーン作り。連発。今日は修正をしながら、繰り返そうと想う。
お互いの感情をひたすらぶつけあう。しかし、そこには相手がいるので、空回りしていく。そこにまず、着目させる。心の変化を丁寧に追うこと。相手の反応をみること。再度。Sげ田くんの頭が動く。まあ、ありかな?と観てみたが、肝心の怒りが出なかった。だから、手を考えるなら、課題を忘れちゃだめだ。手だけの芝居はつまらんでしょ?
自由に動く。自由に動いてみてという課題。アクティングエリアという、この倉庫という箱の中の自由だ。倉庫には段ボールがたくさん積まれている中の自由だ。Hでが、やっと身体を開放して、表情が動き始めた。
早速切り取る。自由に動くHで。そこに他者が加わって、シーンを作る。Kさわくん、飛び込み方がよくなった。しかし、まだ実感やら表現やらに強さが足りない。N山さんも実感が足りない。つまり、シーンを動かしていくほどに表面的になる。真逆である。たしていく、足して、観客を信じさせなくちゃ。
Sげ田くんが実感を伴って入る。これはよかったのだが、続かない。足して、足して。芝居ってそういうこと。
憤怒のエチュード。Mもと、N山さんで妻の裏切り。対する夫の憤怒。シーンのはじまりは日常動作である。ここで、つい手を叩いてしまう。日常にそうするような、仕草ができるようになりたい。
不自然な動きは特化した時以外はいらない。Mもとの怒り、先日観たTSさんよりよかったね。素晴らしい。しかし、N山さん受ける手を考えてしまう。そういうのは絶対だめだ。まず、等身大でいいからひるんだり、抵抗したり、言い訳したりしてほしい。そこに見えたものが面白いんだから。
続いて、発声。声の増幅。一人ずつ。Sげ田くん、Kさわくんもっととなりたいがよかった。N山さん、発声訓練不足だね。Hで、弱い。毎日発声すること。発声だけはやらなければ、絶対だめだよ。Mもと、身体も伴い、表現はいい。しかし、声が不満。声に執着した方がいいぜよ。
息のシーンを創ってみたが、息の有声化がいまいち。息を舞台の上で聴かせるテクニックかな?
続いて、壊れる。とことん壊れていく。Sげ田くん、秀逸。見事。思わず止める。みんなに見せたくなったので、再度Sげ田くんだけで。しかしな、失速。これがね、難しいところ。常に新しい瞬間に立ち戻ることなのだが、これが彼には出来ない。加算しようとする欲もわかるが、まずゼロにして常にそこから、を繰り返すことを望む。まったく違う出来。
再度、全員。他の俳優のいいものは他者を刺激する。かなり全員があげあげ。
いいシーンだった。
そのまま、身体表現。今度は音に身体を一体化する表現として。今日の音はよかった。とにかく気に入る。俳優それぞれもかなりの集中を見せて、表現もよかった。いつも形になっていた、N山さん、今日はよかったね。ときどき覚める瞬間を無くしてほしい。Hでは、とにかく集中が途切れすぎる。それでいいのに、と観ているのに、飽きてしまったかのように動きが変わる。途中で気が変わったり、迷ったりをアクティングエリアで見せないこと。集中、始めたら終わりまで突っ走る。Kさわくん、Sげ田くんは今度は身体の動きを考えてはどうか?音にはよくとけ込んでいた。Mもと、何をもってきても乗っていける。次は動きやスピードの変化を考えていきたい。
最後はセリフ。とってつけたような、不自然な動きはいらない。これまでセリフを動きを入れてとやってきたが、進歩がないので、原点に戻す。動きを平板に決めて、セリフの言葉を考えるための試み。身体表現の箇所も指定する。
3連発。まず、余計な相手役への首ふりを縛り、身体での余計な表現を縛る。
反対に指定した動きは確実に演る。
まだまだ。たとえそのようなやりとりでも、相手役のセリフを聴き、変化が見えなければならない。それが叶わないので、あたしが入ってみる。それは言葉の投げ方だったり、声のボリュームの違いだったり、それぞれが変化をみせてきたところで、再度。
かなり、よくなった。言葉の意味に立ち戻る事、あたしは本読みはしないけれど、こうして言葉だけを立てて、意識させていく。
以上。今日の稽古。いい稽古だった。ひとりひとりを確実に俳優と紹介できるように早くなってほしい。