2007/11/19
愛情表現の希薄さ

日常でも胸が熱くなることが少なくなっているのだろうか?男と女じゃなくてもいい。誰かを思って、胸が熱くなったり、痛くなったりということが希薄になってはいけない。殊に俳優などという生業を選んだのであれば、尚更だ。
一人のひとをじっくり愛することでもいいし、沢山の恋をすることでもいいのだ。昨日は、開かれた稽古場だった。
新しい参加者も加わり、稽古場の空気がいつも変わっていく。とてもいい。
まず、身体表現。身体に音を取り込む課題。今日はブライアン・イーノを使う。あたし自身がとても好きなものだ。この音の準備は相方がしてくれるのだけれど、いつもツーカーの音が準備されていて、感謝だ。
参加者全員での身体表現として仕上がるところまでもっていきたい。今回は身体各部の筋肉と関節への意識を提示する。これは身体に音を取り込むもの。結果として身体の表現になってほしいのだ。音を聴くという聴覚からの刺激はイメージを広げる。音からのイメージ連鎖は、あたしの場合著しいのだけれど、他の表現者には如何なものだろうか?たとえば、今回のようなアンビエントな音の場合、メロディーラインに身体が従って揺れていく。ここで身体のリズムは一様に決まってしまうことがつまらない。身体と音の調和は不調和でもあるのだが、果たしてまだまだ実感できていないようだ。
相互の身体の連鎖は身体のメロディが似ているので、かなりスムーズにいく。しかし、見えている風景はありきたりだ。また挑戦してみたい。
発声。それぞれの声が強くなってほしい。なかなか簡単ではない。日々の発声も強化してくれると嬉しい。
エチュード連発。愛情表現に課題を置く。まず、出発点である愛情の表現がどうにもくすぶる。火のように燃える愛情が観たいのだが。
好きで好きでたまらない。狂おしいほど、好きだ。こころを燃やして欲しい。
見えてこない。愛情表現からの憎悪、嫌悪もこの愛情表現に比例してしまうので、どうしても日常レベルで見えるシーンがつまらない。
劇的瞬間を見たい。愛情のスキルアップをよろしく、と言った感想だ。
熱い想い、これはとてもとても大事だと想うよ。
誰かのためにあなたは死ねますか?情念の域までいきたい。
ここは俳優のための稽古場であって、劇的瞬間を創っていきたい。
嫉妬、羨望、やっかみ、執着。エチュードの設定をいかにかえても、出発点の熱い想いが湧かない限り、そこから派生する感情も鈍るのだな。器用じゃなくてもいいのだ。とにかく、心の温度をあげてほしいのだ。
滑舌。参加者全員で、輪読をする。声のボリューム、強さのリズムを伝達していくこと。体感して、渡していくこと。声が弱い。
愛情表現さらに連発。初参加のTくまからやっと小爆発の瞬間が一瞬みえる。
収穫だ。屁理屈を言っていないで、これを大事にしたらいいと、君には言いたい。
日常生活では隠されて見えない感情を見せていくこと。日常もやはり大事だとあたしは想う。日常の熱さ、もう一度各人心してほしいかも。
号泣。5分。あたしも参加する。あたし自身がすぐに入ってしまうので、まわりを見回す余裕がない。途中から観る。心からの号泣。泣くという訓練。声による引きだしをするKちゃんはテクニックが見える。子供の頃の泣き真似のようなところからでもいいのかもしれない。
しかし、心だ。やはり、心だとあたしは自分でなきながら、嗚咽も声も分析してみる。心が動いていることだな。
精神病院。狂うということの追求をしている。狂気と狂うということと狂人と。形から作ってみることには違和感もあるが、説得力もある。Tえは拘束された状態を。精神的なトランス状態がみたいが、そこまでは見えてこなかった。次回もやろうと想う。
心の開放と自由さを求めて、開かれた稽古場、こつこつと続けていこう。