2009/01/05
存在すること、自由、そして表現すること、さらにセリフ術


日中は「老人と海」の稽古を観る。やはり、芝居には想像力と実感が必要と感じる。目の力と目の表現が必要と感じる。稽古場を後にして、老人と海に思いを巡らせながら、途中の喫茶店で一服。開かれた稽古場に頭を心を切り替える。セリフに使っているテキストを再読する。次から次に走り回っている時ほど、切り替えるつかの間の時間を大切にしている。
新年稽古開き。開かれた稽古場。お借りしている変態公民館も今日から仕事始めのようで、スタッフから活気を感じる。今年もこの空間で、更なる追求をしていこうと誓う。
参加者8名、見学2名。芝居に必要なのは感情を動かすこと、そして、それを表現として観客席に伝えること、殊に表現する、伝えるということを念頭に置いてほしいと話をする。新年、本公演を夏に控え、これまで一年稽古で培ったことを表現として、またセリフに活かすことに繋げていかなければならない。
まず、役者自身として歩く、そしてある一定の時間、佇む。そして、呼吸する。呼吸をみせるという意識、さらに声の増殖。そして、佇む。強い怒り、怒りの歩行、怒りの佇み。怒りの集約。怒りの声まで。
役者として、そこに立つときに、役者それぞれの内的宇宙を抱えてほしい。Nさん秀逸。見せること、惹きつける術を身につけていて、輝いている。Kさわくん、S田くんものびのびとして、よくなってきた。宇宙はアメーバのように広がる。その宇宙が混沌と空間を浮遊する。そんな空気感が産みたい。
Kちゃんは魅せる術を知ってはいるが、それが形骸的であり、それはそれで彼女の魅力だ。さらに、内的宇宙を広げてほしい。感情をさらにあげていく、どんどんあげていく。他者とのぶつかり合い、スパーク。感情に感情を重ねること、感情を他者と共有し、さらに反発していくこと。動く感情を掴んで、掴んでヒートアップさせるための課題。動きの敏捷性、感情の敏捷性。
誰もがさらにと感情をあげていくことができた。続いて、赦す。怒りの感情を赦す。怒りを溶く理由、きっかけ、そして、感情を丁寧に創る。ある地点まで赦すという感情で歩き、立ち止まる。振り返り、微笑む。その感情から産まれる表情はきっと役者自身が気づいていないほど、柔らかく、温かかった。Oみさんは演劇に関わっていることがどこかでずれてしまっていて、演劇、芝居というものをはき違えているらしい。まず、普通に歩き、普通に佇むということ。何かを表現するときに常に正面を向かなければならないとは、あたしは全然想わない。どこから観られてもそこには表現があること、それがあたしの目指すものだ。
ひとりひとりの役者、あるいは役がすべて確かに存在していることが、あたしの目指すものだ。さらに、誰でもない誰かになる。誰でもない誰か。これまでの感情や自意識をそぎ落とした歩行、表情がほしい。指定した位置まで。振り返り、深い哀しみ。深い哀しみを持って歩く。そして、佇む。そして、哀しみを1点に集約する。さらに観客席を見つめて号泣。
結局、そこには感情が動き続けることしかなく、涙がほしい。どういう風にやろうということでは成立していかない。Kさわくん、Nちゃんがよかった。S田くんの心はとてもよく動くので、声も含め、どう表現していくかということ。Kちゃんは感情の深みにはまることができない。それでもいいのだけれど、その先がみたいね。Mき、表面的である。心を動かすこと、心を正直にすること。N山さん、切り替わりが見えない。泣きっぱなしではなく、気持ちを丁寧に切り替えること。追求の仕方が雑。Oみさん、心を動かさなければだめ。どんなに肩を落としても、手振りを付けてもそれはうそ。
続いて、殺意。シャッター前から殺意を持って歩く、佇む。想像力で殺意まで辿り着いてほしい、鬼気としたところまではまだまだ遠い。コロシテヤル。日常では持たない感情をどうやって産んでいくか?丁寧な想像しかない。
破壊。殺意を破壊に繋げてみる。内面を壊していく、発狂。破壊された内面の歩行。身体で表現して、壊れた内面を持って、歩きに繋げていきたい。それは実に静かな鬼気とした開いたものではないかとあたしは想う。
まだまだ辿り着けず。Kさわくんは破壊はできつつあるが、それを内に抱えることができていない。さらに放心。放心して歩く。そして、佇む。
Nさん、最高。久しぶりに参加したが、これまで繰り返してきた点が確実に繋がっている。一連の動き、感情、すべてにウソがない。素晴らしいし、もっと上がっていくと確信できる。N山さん、Yきはすでになぞり始め、形になってしまっている。それが、芝居の勘違いだと想う。つねにはじめての瞬間であることだ。放心の佇みから、役者自身の佇みに移行する。
切り替えのための連続した課題だ。
エチュードに移行する。四方から壁に閉じこめられていく。実感、想像の訓練
。迫り来る壁を見ること、感じることしかない。Oみさん、のようなもの、みたいなことの動きも言葉もいらない。さらに実感を深めていけば、観客を巻き込むことができるのだ。さまざまな感情、痛み、感触、演じる役者が追求できれば、観客席にもかならず伝わるのだ。閉じこめられた箱。箱が燃える。
火の実感。壁が消える。そこには火だるまになった者タチ。火だるまから、佇みまで。火の熱さ、痛さ、阿鼻叫喚地獄絵になりたい。そして、佇んだそれぞれに火を見せる。とにかく、実感の追求だ。かならず、叶う。
休憩5分。
踊る。観客席を巻き込んでほしい、役者として表現してほしい。楽しむこと、そして、音に乗り、魅力的であること。観客席への目線、誘い込み等、着眼すべき点はまだまだ山積みだね。音の中で、佇む。音、消えていく。
踊りから歩き、佇みへの移行もリズムの変化だ。スムーズにいきたい。
動から静への移行でもある。
平常心から愛情、そして憎悪、立ち去りまで。歩行の中で。感情の着火点がはっきり見えたのはNさんのみ。見せることは、感情の切り替えをはっきりすることだが、それをわからせるために歩行のスピードの変化、立ち止まりをはっきりと決めていくことだ。流れていてはわからない。それが、表現していくということ。再度。掴めたことをさらに繊細に表現していってほしい。
さらにこれをシーンにする。S田くん、Kちゃん。愛情がよくみえなかった。よって憎悪も。Kちゃんから出そうになる泣き顔、途中で消沈してしまうのが惜しい。Kさわくん、Mき。愛情の瞬間、憎悪、嫌悪の瞬間が見えない。劇的に表現することをもう一度考えてほしい。Yき、Oみさん。形ばかり、見たいのは愛情。Yきの憎悪はよい方向だったが、単色。切れていくなら、さらに切れ続けなければわからない。Nさん、N山さん。とてもよかった。愛情は弱いけれど。憎悪がもうひとついくかと想ったが、いけなかった。N山さんの目に変化が乏しい。
セリフ。話してくれ、雨のように。テキストを渡して1ヶ月ほどになる。今日
はじめての参加者もいたが、あまりに読み込みが足りない。よって、今日はト書きを読み、まず、その役を掴むことを指示してから、開始。同時に相手役の言葉を掴まえていく方法。あたしも参加してみたが、言葉が聞こえてこない。
言葉には言葉の意味がある。感情は全体を通して動いていくものであり、言葉で感情を表現していることが非常に自己愛的で愉快ではなかった。
まず、もっともっと執着して、読み込んできてくれないとセリフ術以前の問題だと想うな。非常にいい戯曲なのに、状況も言葉も、感情も見えてこなかった。次回は1対1でやりたい。
セリフに感情を載せるのではないのだ。そこにはセリフの、特に長台詞のテクニックを身につけていきたい。あたしはNさんと演ってみたいね。
S田くんが食い付いてきた。受けがとてもよかった。
Kさわくんはもっとト書きを大切にすること。そのセリフのない行動の意味、とても重要だよ。
最後は身体表現。音と融合する。トランス状態になる。Nさんは音の中にイメージをみていこうとしている。これはありだし、とてもよかった。S田くん、Kさわくんも面白くなってきた。Yき、入り口から決めすぎたかな?
ナチュラルハイになりたいんだな〜。
Mき、内面重視で。表面的すぎる。切り込むこと。N山さん、身体で表現していくことと心と音が分離している。さらに一体化させれば、いいと想った。
あたしの信じること、求めること、かならずお目にかけるべく、さらに一丸となり精進していく。