2007/11/26
感情のやりとり 開かれた稽古場

公演前の最後の開かれた稽古場にいく。メアリーの稽古場で信頼している舞台監督と細々と打ち合わせをしつつ、稽古を観る。女優ふたりはこれからどんな風に仕上げていくのか、一番大変な時期に入り、われわれスタッフは公演に向けて、諸々の調整をする時期だ。稽古をブレイクで中座し、開かれた稽古場に向かう。
稽古場を出て、携帯をチェックするとお休みの連絡がたくさん入っていて、少々の肩すかし。ここは自由参加の稽古場なので、お休みの連絡はいらないのに、と、芝居が優先順位一番になることが俳優の第一歩だ。稽古に通い続けることも想うほど簡単ではない。参加の面々の顔を見て、なるほどと一人合点する。
あたしは今、この念願の稽古場を開けて実に嬉しい。最初に考えたように、少なくともあたしは毎週通う稽古場ができたわけだ。
師匠が稽古をしていたので、15年以上毎週1度の稽古に通った。通い続けた。体調が悪いということは、頑強なあたしにはほとんどないけれど、どんな予定も調整して通った。師匠の稽古は日曜日の夜だったので、うちの娘も日曜日と言っても特別の日でないまま育った。この稽古通いの継続があたしを育ててくれたと想っている。
我々の仕事は実はそんな地味な積み重ねだろう。
参加のメンバーの顔ぶれをみて、今日は演劇ということをかならず念頭においてほしいと少し強めに要望して稽古をはじめてみた。
音に反応する稽古。今回はジョンケイジを用意してもらった。音からのイマジネーション。それぞれがイマジネーションを持つことを話す。積極的にイメージを広げようとするそれぞれからこれまでにない大きな動きも出始めた。この稽古は踊りではないけれど、身体による表現であることにやっと近づいた。
あたしも参加しているので、細かい分析は難しいけれど、今回は皆のエリアに入り、皆の身体の連動に参加してみた。それぞれがその場で感じたものを大事に持ち帰ってほしいと話す。
発声。セリフにつなげ、芝居に繋げることを念頭において、声の受け渡しをしていく。声を張ることと指示する。声を受け渡していくことで自然と各自の声のボリュームもあがり、いい声が出る。声を受け渡すことからの発想、新しいリズム作り、空気作りをしてほしいが、まだ起爆剤にはあたしがなっている。しっかりと声のできているNちゃんやKちゃんの声をさらに鍛えられてきた。あたし自身も鍛えられる。さらに芯のある声を目指したい。
TえとMもとの声はまだまだ。かならず強い声を手に入れてほしいふたりだ。
初参加の山ちゃん。声に自己主張と張り切りがみえる。こういう風はとても刺激的だ。ここは経験値ではなく、そういう情熱で成り立っていきたいので。
気配の共有の稽古、違うイメージからの空間の共有をはじめてやってみる。
寝て起きる。そこからのイマジネーション。ひとつ想うのは、イマジネーションが日常レベルすぎないか?どんなイマジネーションも持てるときは、もっともっと違う世界を自ら創れなくてはね。
エチュード連発。先回不発だった愛情表現のエチュード。今回はもっともっと強い愛情を持つこと、好きで好きでたまらないとき、もっと溢れる物がないかな?と観る。ストレートな愛情表現を日常でもしなくなっているのか、それは問題だねと感じる。
愛情を伝えるツールは着飾った言葉ではないのだとあたしは想うのだが。
女優がふたりという恵まれた環境だったので、男優全員からの愛情表現を受けて貰う。さて、これで何を感じたか?そこを想い出し、検証してほしい。
観客席に伝わる瞬間、NちゃんからもMもとからも見える。
Kちゃんは温かい。温かいのだけれど、強い愛情表現が観たいな。
うちの女優なので、女優としてもあたしは探っている。
敵意、嫌悪の感情。しかしだ、想った。すべての感情のメーターのふれが小さい。これをどう解消していくか、あたし自身も考えながら、稽古後にTえに話す。瞬間でもいい、感じた感情を認知し、膨らませてみてはどうか。
感情の記憶しか糸口はない。感情はいくらでも鈍る、ということなのだな。
たとえばセリフに感情をどう表現するかではないとあたしは考える。そのセリフを言うときの心の動き、感情の持続、変化がセリフに見えるのだ。
そういうセリフが聴きたいし、そういう芝居が観たいのだ。
エチュードの設定を変えていく。これはあたし自身は作劇の訓練にもなっている。各自のエチュードから日常を離れた発想がほしい。まだまだだ。
すべては想像力だ。
外郎売りの輪読2回。声の強さ、滑舌。今回はすこし風景もみえた。
さらに精進したい。
つづき、セリフに初トライ。現在制作中のメアリーから一部お借りしてやってみる。女の芝居だが嫌悪の稽古も兼ねて全員。
Nちゃんの芝居はずっと好きだったけれど、やはりセリフ術に走っていないからだとセリフを聴いて想う。感情の継続ができている。きっと次は聴かせるセリフ術を身につけていくのだろうか?細かい感情の変化を表現していくのだろうか?できれば後者が叶うなら嬉しい。あたしにも課題であり、模索中だ。
Kちゃんは女優になってよかったと感じる。俳優の花はいつ開くのかわからないものだけれど。器用な俳優ではないけれど、身体に言葉が落ちる。激しい、きつい感情を育ててみたらいいのかもしれない。
Mもとは芝居心があるのだな、とセリフを聴いて想う。けれど、大ざっぱなのがたまにきずかもしれない。
Tえもしかりだ。勘がいい。セリフも言えてしまう。けれど、大ざっぱなのだ。
芝居をもっともっと愛して、もっともっと掘り下げて、拘ってくれると嬉しいと想った。
今回の稽古は意識が高くて、よかった。
さらにここは演劇の稽古場であるというところへさらに意識と内容を上げていきたい。
しばらく、あたしが公演の稽古時間も延びそうなので、開かれた稽古場は我慢、我慢。
公演が終わったら、再開する。
12月24日 クリスマスイブか。されど、あたしは稽古再開。