2009/04/06
しつこく観せます


夏の公演。というわけで出演者もほぼ決まった。という中の開かれた稽古場である。もちろん、公演とは別に日常訓練としての稽古場であるの だが、今夏の公演からはあたしが長年碇としてきた寺山さんの世界のある意味では呪縛から解き放たれた感強く、あたし世界が際限なく広がっているわけで、ま あ、それは旗揚げから寺山リスペクト芝居を創っているという意識はないので、常にあたしの世界観であるのだけれど。
出演者の参加が定着している。ならば、公演に向けて創り上げていけるシーンもある。では、創っていこうと想ってもいる。ということで、稽古日記の書き方も変えていく。参加者9名、見学音楽スタッフも含め3名。
ここで再度書きたいのは、あたしはまず心を動かすことをみせていきたいということ。動いていない心を動いているようにみせるのではなく、役者たちが七転八倒して心を動かす課程をドカンと観客席に投げ込もうとしている。
そのために訓練する。観客を巻き込むということを事件ではなく、感情で行う。まず、感情を、自意識を削ぐ。あらゆるきょうざつぶつを削ぐ。
初参加のMケルにとまどいのみが見える。これは、表現としても考えているのだが、役者が脱力することの必然性だ。繰り返す。スピードを指示する。繰り返す。さらにスピードを指示する。とっかかりは見えた。
常に念頭においてほしいのは、半端にやるなということだ。
半端なものでは観客席はついてきてくれない。
続いて、感情を入れていく。今回は強いはっきりした感情と指示。Oさんの目が瞬時に変わり、涙が溢れた。そう、こういう瞬間がほしいのだ。
感情、身体、声。繰り返す、連続することで、感情が落ちていく。それをさらに上げる。さらに上げる。さらに上げる。Yえがストッパーをかけてしまう。Mケルはとまどい続ける。
感情をさらに指示する。深い哀しみ。佇むことで抱えている感情の確認。どこまで心でその感情が蠢いているか。声を出すことで錯覚を起こすことがある。その声を制御していく。身体を動かすことで錯覚するものがある。身体の動きを制御していく。
それぞれの感情がやっと溢れてくる。ここで、号泣。掴めたか?
この繰り返しは、感情の調節のテクニックとなる。
観客席を挑発していきたい。しつこい感情のるつぼを創り上げたい。
追い込まれる。追い込まれるという実感。実感するまでしつこく。しつこく。しつこく。追い込まれること、追い込まれること。こういう稽古をすると予想もし ない表情や動きが出はじめる。あたしはここからだと想う。そこをさらに追い込む。追い込む。投げ出す者もいる。投げ出してはだめなのだ。追い込まれる、追 い込まれる。追い込まれる。喪失まで。
たとえば、人間博覧会。
発狂。狂うとは何か?意識や精神や身体の錯乱を創り上げたい。
感情、行動、身体のリアリズム。あたしが求めるところは奇異ではなく、リアリズムである。
リアリズムのためのエチュード。想像力と実感と。実感が重なっていくことを実感するために。首つり死体の発見、反応。5連発。見る、反応する。心をありのままに動かせるまで。求めるものまでは辿り着けなかった。
感情のストッパーが外したい。
リアリズムのためのエチュード。奇妙な部屋。部屋の実感、他人の存在への反応。言葉で埋めるのではなく、瞬間がみたい。繰り返すことで少しずつ実感できてきたか。
身体の自由を獲得するための、声を強化するための課題。声が弱い。声の増殖。空間を飲み込む声がどうしてもほしい。拡散してしまわない声がほしい。これは日々の発声しかない。毎日5分×90日声を出し続けて下さい。
ブリッジ発声。四股発声。だいぶ身体は安定してきた。日々の訓練はこうして実っていくのだよ。うちは身体能力の高いひとが多いので、これは最大限活かしてあげたい。
色気の歩行。役者は色っぽくありたいね。初参加のMケルがやっと動き始めた。持続していかないが、ちらりといいものは見えた。
こういう課題をすると自己過信や自惚れも役者をひきたてる要素だな、と想う。大いに自惚れて、売り込み給え。
身体表現。音と身体の融合。音を聴くこと、表現すること、他者と共存すること。これは身体の表現力も必要なので、表現したいことができない者も多い。たとえば、雨乞いの踊りのような、その感覚を持って欲しいと言っておこう。
体内リズムを産んでいきたい。
相関図。まず、そこに必要なのは愛情という感情。話をどう進めるかではなく、感情が転がっていくシーンにしたい。感情の希薄さを感じてしまう。
とことん愛していくということ、みんなしてほしい。Hくんの挑戦は好感。
以上。