2009/04/13
感情を自由に動かす訓練をする先には、表現があるのだ


サクラの妖精が花びらを葉っぱに変えて、緑の季節が訪れる。
開かれた稽古場。あたしの意気があがってきたためか、参加者増える。参加者13名、見学2名。あたしの好きなこの変態公民館の空間には、この人数がしっくりくる。
あたしの台本の中の大事な登場人物、誰でもない誰か。感情を自由自在に動かすために、まず誰でもない誰かがそこに居て欲しい。
あらゆる自意識、癖、力を抜いていく課題。形骸化を念頭に置いてほしいと指示して、歩行スタート。Yき、Hろは形骸化に意識がいき、中身が抜けていかな い。Mもと、形を作るより前に抜いていったときに産まれる動きから形を作ってはどうか?Yき、歩けない。表情だけがめまぐるしく動く。迷い、戸惑い。それ らを抜き去ることだ。Aこ、美しい顔。しかし、美しい顔は保つものではない、その美しい顔から自意識が抜け落ちたとき、本当の美しさが見えるのだというこ と。Sら、Yえ、Mな 心の迷いやストッパーが歩きにストッパーを欠けている。不規則なリズム。Hで、抜くということができてきた。余計な動きが削られ た。そうだ。S田くん、形ではない。中身を抜くこと。Kさわ、中身を抜くことができるのだが、形骸化を意識したときに奇妙な乱れを産む。その両者が繋がる まで、中身を抜くこと。抜けてきたところで、動きを指示して、さらに抜く。そして、佇む。とてもいいものができた。予想のできない表情こそが本物の表情 だ。Kさわ、S田、Mもと、Hろ、Hで、Sら、特にいい表情をしていたよ。
次に役者の魂を入れる。見たいのは、見せていきたいのは、瞬間だ。魂の入る瞬間。そして、それぞれの宇宙、想像の世界を広げて歩く。果てしなく広がる宇宙 でありたい。Sら、Aこは想像をみせようとしている。違う。答えを提示なくていいのだ。役者は答えを示すことが役目ではない。観客の心を動かすこと。心と 想像力と表現で。
Kさわ、広がれ、夢を追え。日常からいかに飛べるか、宇宙を広げていけるのか。役者の生理的なため息はいらない。
佇みまで。さらにそこから、抜く。すべてが抜ける。脱力まで。脱力が形になっている。抜けていくことを役者自身が感じること、その結果としての脱力がほしい。水になりたい。
煽る。言葉を縛り、動きを縛り、目で煽る。役者は弱点を何かで補おうとする。だからこそ、そぎ落として訓練する。まず、観客席を煽る。それぞれが身体をか がめ、煽り始める。まずはそこからでいい。次には直立を指示して、目だけで煽る。目力を鍛えたい。頼るものは煽情する内部とそれを伝える目だけでありた い。さらに役者同士で煽り逢う。感情のやりとりが見えてこない。止める。再度。煽りあう、3連発。相手を変えて。切れがほしい。強さがほしい。勢いがほし い。言葉を取り上げられた時の不自由さを自由に繋げてほしい。煽る、争う、許すのエチュード。まず、同時多発。続いて、1組ずつ。Mもとの愛情表現がよ かった。つまり、怒りは負の感情ではないということ。
すべては愛なのだね。受け手のMなの見せた赦しもよかった。Kさわ、怒りとまではいかなくても、その部分が欠落した。Yき、怒りに辿り着けないことを暴力で自身の中の怒りを煽ったに過ぎない。対象がない。違う。受けたMケル、シーンとしては面白かったが。
続いて、感情を動かす。さらに、それを形骸化、型、デフォルメーションするための訓練。深い哀しみ。哀しみの対象、原因をはっきり持つために、今回は外か らの言葉を投げてみる。肯定と否定の言葉。感情が動きやすくなるために。それぞれにどこまで哀しくなれたか、涙が流れてこないね。
声なんていらない。身振りなんていらない。熱い涙がほしい。哀しい想いがほしい。熱くなければ、哀しくならない。感情は熱いから、動くのだから。
それぞれに感情が膨らんできた。そこで、動きをとめ、佇む。声を縛る。聞こえてくるのは息だけ。感情が内部で蠢き始めた。
そのまま、号泣、そして、号泣を型として表現する。連続して、2連発。
デフォルメーションをするためには、リアリズムが必要。まず、リアリズムの号泣ができなければ、型は創っていけないのだ。
Mもとよかった。リアリズムの泣き崩れる。まだ、誰も叶えてくれていない。
なりふり構わず、泣け。それしかない。泣きじゃくり、息が乱れ、頭が真空になるまで泣いてほしい。いいですか?それができなければ、型なんて遠い、遠い。でも、これ、型にしようよ。出来たら、最高さ。
泣く、茫然自失、狂乱への感情動線の課題に繋げる。辿り着けない感情を諦めずに踏ん張ってあげていくことでもいい。Hろはその踏ん張りができるようになってきた。いいこと。
産まれた感情のラインを持ち続けることは武器になるよ。
狂気とはなにか?狂乱とはなにか?真空状態。真空から産まれる違う世界。あたしはそう想う。だから、真空に辿り着いてほしい。
そのままから、身体表現へ。心も身体も解放されていたのだろうか、非常によいものだった。今回はとことん感情を刺激して、身体表現にいこうと決めていた。 叶った。入り込んでいけないAこ、Hろ、Mな。頭で考えるなってことよ。他者との共存。理屈ではない。Kさわ、これが弱いね。
上げて、上げて、逝っちゃいたいわけよ。少しわかって貰えたかな?
音に負けない表現があった。楽しみだね。これは叶えば、舞台に上げる。だめなら、やめ、来年だな。
最後に恒例相関図。Mもと、Yえからスタート。愛情表現の苦手だったMもと、温かくなってきたことにまず好感。Yえが、Kさわから次々にばっさり切る。純 粋な愛情が見えた。信じていたものからの絶縁にどう反応するか?そこが弱いKさわ、Yき。Hろの愛情、役作りに負けないでほしい。役より欲しいのは強い愛 だ。ホモやらレズやら当たり前になったし、それはいい。ただ、そこに興味本位ではない愛情が見えないと、奇をてらっているだけに見えてしまう。マイノリ ティな表現は心してかからないとダメだね。
シーン流れを指示してみた。愛の方向、はっきりせず。殺すという愛情表現、つまり手段はどうでもいいのね、殺すほどの愛情、独占欲、大事なことはそこね。Mもと、狂乱、自失までいってほしかった。けど、まあまあ、成立かな。
はっきりとした心がみたい。心の見える芝居にしたい。あやふやはいらない。
以上。