2007/12/24
黒ミサ 開かれた稽古場

メリークリスマス。季節には敏感に、人には敏感に、心は敏感にをモットーとする開かれた稽古場は、メリークリスマスの聖夜も開かれた。クリスマスイブ。
まずは身体表現の突破口の訓練。身体に音を入れて、共鳴、反応する稽古から。1度やったけれど、もう一度ジョンケイジで。音、言葉、無音とすべての音を使ったジョンケイジはこの稽古には最適なはずだ。聴覚からの情報を身体に入れて反応したい。前回もそうであったが、今回も聴覚からの刺激が見えない。何かに反応すること、それがすべての演劇の出発点だ。身体と音の絡み合いが見えてこない。何かをしようとする身体。そこにただ、立っていること、ただ聴くことに集中させたい。そこから動き始める身体はきっといいと想うのだ。
先日この世を去ったMくんが創ってくれた曲で、シーンを創る。破壊すること、壊して新しい世界を創りたいのだ、とあたしが彼に伝えたその曲は、俳優達を見事に刺激した。思い通りの暴力とエロティシズムに充ちたシーンができた。連続2回。2回目は言葉を入れてみる。それぞれの俳優から発した言葉はどこに向かっていたのかな。
耳から音が遠ざかる。この曲は最高だ。
追悼の意を込めて、ちょっとシーンの贈り物かな。
発声。声の伝達。皆、声ができてきた。もともと声を持っているNちゃんはさらに強い声になってきた。頼もしい。Tの声も上々だ。エチュードになるとあの声はどこにいってしまうのか?残念。
Mの声が弱い。何とか鍛えたい。Nさんは公演を終え、声もしっかり出ていた。本番はツヨシ。声の伝達。これもリズムと空気の伝達だと想う。今日は歩きながらの発声。直立でたったまま舞台上で話すことは、非常に少ない。伝達のスピードをあげてほしかったが、叶わず。スピードは声の短縮をしないと生まれないのだなぁ。そこに気づかず。
エチュード、本日は20連発。設定はクリスマスイブ、何でもいい、アクシデントをひとつ。アクシデントの発想力が足りない。これは劇的なるものに通じることだと想う。アクシデントを予想した暗い始まり、ここが問題だったのだな。
というわけで、幸せなクリスマスイブを連続して創る。瞬間、温かいものが流れる。その感覚だ。
死。今日は参加者のそのまま、稽古場の設定で「死」のエチュード。余命1週間。日常にはこれという反応は生まれないのかな。今日、この稽古場での「死」 死への反応はこれほど論理的、否、冷たいものなのかな、と不完全な心持ちになる。いや、こんなに冷静な対応ができるのか?
「死」同じ俳優を今度は場所を変えて、棺桶の中に寝かせる。
「死」に対する実感希薄。そんなもの?だめだ。
恒例、男と女、相関図エチュード。Nちゃんの表情がめまぐるしく動き始めた。身体全体の感度があがってきた。これは恐れ入った。
演劇はもしもだ。もしもの中へまず飛び込まなければ、発展しない。Tはまったく動けず。どうしたものか?これも劇的な瞬間を生む連鎖まで、さらに連発をしていきたい。
Tまの起爆剤になろうとする意識は非常にいい。そこに感情が持続すれば、尚、よいのに。惜しい。
今日は演劇は、俳優は生ものなのだな、と強く感じた。いつも新鮮でいられるかどうかだ。

いい答えを貰った。来年からもさらに続く。