2008/01/08
こころよ、動け

新年、初稽古だ。今年はさらにアクティブにやっていきたい。稽古場に火柱の立つような、そんな稽古をしていきたい、と思いながら、稽古場へ。いつもの変態公民館にて。あたしはこの空間が好きだ。無機質な空間は、姿も声も音も、そしてこころもまっさらにされてしまう感じ。
参加メンバー、常連組に新しい参加者。稽古はじめにデッキがどうしても見つからず、がっかり。身体に音を入れて、反応する訓練用に毎回相方が用意してくれる音、あたしも楽しみにしている。というわけで、切り替える。あたしはいつもいろんな音が聞こえている。幻聴とか?冗談はさておき、あたしの中にあたしだけ聴こえてきた音で身体表現の稽古。みんなは何だろうと想ったかも知れない。
イメージを持って歩く。俳優という仕事、そのほとんどは想像力で成り立つ。断言。映像でも音でも絵でも人物でも色でも何でもいい。イメージを持ってほしい。そして、歩くという行動の基本、重心への意識。各自の動きがおぼつかない。自由であることは難しいのかな。声を出しながらの歩き。声と歩きが別々になってしまう。声に連動した歩き。少しずつ、バラバラだったものがまとまっていく。身体と声、他の俳優の動かす空気、身体、声からの刺激からの変化。そんなところを求めている。何もしないのではないけれど、何かをしようとしないことではないかと想う。ニュートラルな状態からすべての感覚を研ぎ澄ませていきたい。俳優は楽器になりたい。
声は皆、強くなってきた。発声と身体をこれからも合わせた訓練にしていこうと想う。
相方の協力を得て、階段でリズムを打ってもらう。リズムへの反応、ことごとくぬるい。だめだ。目指せ、blackでいきたいなぁ。
エチュード連発開始。反応の稽古。ひとりひとり、連発。発見と反応。やはり頭で段取りを考えてしまう。初参加のYちゃんあたりは同じシーンを何度か繰り返してみる。少し、よくなる。
稽古は繰り返しだな。
大事な人の浮気現場の発見、反応。皆一様に淡々としたものだ。あたしの感覚ではぬるいと想うが、そんなものなのか?疑問を感じつつ。
大事な人の自死。発見と反応。これは当然、泣く、ところまでを求めた。
驚愕、予感、嘆き、後悔、、、、きっとまだまださまざまな感情が動くはずだと想っている。
Nちゃん秀逸。素晴らしいシーンだった。涙腺引っ張られる。リアリズムとはこういうことだと想った。何気なくつぶやいた「なにやってるんだよ」という一言、効いた。
Tえのうめき声、いい。この人からはこういうものはもっと出るはずなんだけれど。持続ができない。変化ができない。がんばれ。
Tま、すべての反応がクール、しかし、ときおり熱いものが見える。これが、あたしは個人的に好きなのだ。
Mもとは、だんだん表情が動き始めた。おそらく、自身では意識のないレベル。こころが柔らかくなりはじめていると想う。
N山さん、死の嘆きでやっと熱いものをみた。このひと、こころを封じ込めている。なんとか開けるといいと想う。
Kちゃんは不思議。しかし、反応のどれもが温かい。温かいことはとても大事なことだよね。それから、品性。
全員で秋波の稽古、きっかりカップルになってしまって、事件を待っていたあたしにはつまんない。あ、そう?って、感じ。
告白。愛するとか、好きだとか好きで好きでたまらないとか、あ〜、出てこないのだ。どうしたものか?
燃えるような想いをしましょう。
つまりだ、この想いがまずないと嫉妬も嫌悪も憎悪も生まれないのだから。
こころを熱くしたい。
こころを燃やしてほしい。こころを溶岩のように、流したい。
う〜む。エチュード連発、今年も続ける。こころの日常訓練をしてほしい。
今年はホットで、ヒートでいきたいものだ。
もちろん、あたし自身も。