2009/09/28
感情を蠢かしてみろ。という訓練。

開かれた稽古場。日常訓練を呼びかけても、公演という目標がないと参加者は増えていかない。公演後は、コミュでの告知をあえてしていない。もちろ ん、新しい役者に出逢いたいので、そのうちに告知をはじめるけれど、まずは日常訓練をいかに習慣にしていくかと考えているのだ。何年やったら、日常訓練は いらないなどと想っていれば、日に日に感情の襞はなくなっていく、声も衰えていく。ただただ老いていくという怖さ。さて、参加する役者には繰り返しの濃い 稽古のできるいいチャンスだと想う。参加者2名、見学2名。今年の公演を観てくれたテレビ関係のディレクターがいかしたバイクでふらりと現れてくれた。
幸いな観客のいる稽古である。今回は感情を蠢かすためにしつこく、感情を揺らしていく訓練をほぼ1時間、繰り返した。まず、歩く。すれ違う。普通に歩き、 すれ違うということでまず、躓く。ごく当たり前の人間の感覚をいびつにしてしまうと観ている心は歪む。歩く、すれ違う。そして、感じる。たとえば何度もす れ違ってみる。相手の何かを感じるまで、何度もすれ違うだけの関係。そんなことがしたい。そこからのシーンドライブ。Yきがすぐに反応をしたので、今回は そこを基盤にしていく。振り返りまでの心の動き、振り返ってからの言動にリズムがほしい。Mなが反応していない。言葉だけが空回りする。再度。アドバイス をして、繰り返す。会話が言葉だけのシーンにしか見えない。止める。再度。心の想いをすべて言葉にして伝える、最終的に号泣まで。相手の言葉を聞く、それ に反応してほしいのだが、、何とかして泣こうとしていることが見えてしまう。止める。再度。瞬間に感じること、瞬間に答えを提出すること、これらはすべて 想像力からしか生まれていかない。漠然としたこと、なんとなくの表現は観客席には届いていかないのだ。
再度。言葉が空回りする。心が見えない。だから、号泣には辿り着けなかった。続いて、愛する人の死を感じるための感情訓練。雑踏の中で死んだはずの「あの ひと」を見る。それは幻影なのか、心の叫びなのか。雑踏の中をただ歩く、ということができない。日常動作は、常に日常でも意識していてほしいと言ってお く。歩く、あのひとの姿を見つける。反応する。あのひとの姿がこちらに見えない。それは役者に見えていないからだ。はっきりあのひとを見ることをアドバイ スして、繰り返す。Yきは瞬間その姿を掴まえることはできるので、いいのだが、そのあとがいけない、ナルシスティックになってしまうのだ。相手に対する反 応ができるようになれるといいのに。Mなは、繰り返すことでほんの少しずつ見えてくるが、あまりに弱い。見ようとする執念が足りない。想像力が足りない。 泣き崩れるなら、全身で泣いてほしいのだ。
再度。再度、再度。繰り返す。やっと見えてきたかというところ。
続いて、首つりの発見。時間の逆行を試みる。反応の弱さ、叫びの弱さ。心の蠢きの弱さは、人の死を軽く見せてしまう。
再度。混乱とか錯乱とかまで辿り着けないのは、何故だ。想像力が足りていない。見えていないからだ。死の翌日。Yきがよかった。迷い、哀しみ、打ち消し、いろいろな感情の渦が見えたので。
その死を責められる。反応。相手の想像が足りていない。反応が弱い、混乱が見えない。怒りが見えない、自省が見えない。表現には決まった答えがない。感情 の渦は答えが見えないものほど、興味が湧く。感情は表現するものではないと言うことだ。感情を溢れさせる。そ、れ、だ、け。感情は多面体で、多彩なはず だ。一色の感情表現なんて、つまらない。
再度、雑踏に戻る。あのひとの姿を来る日も来る日も雑踏の中に見る。時間だけを指定し、フル回転で繰り返してみた。1年と45日目まで。道を歩く度に死ん だあのひとの姿が見えてしまったら、人は、心はどうなってくのかという実験である。やはり、心の動きが、感情の蠢きが弱すぎる。なぜ、そんなに冷静なの か?なぜ、そんなに淡々としているのか?わからない。
動かしていく、想像力で感情を動かしてみる。感情が行き場を見失って、蠢くことをまず感じてほしいのだ。声が出ないのか?息や表情は動かないのか?
ここまで。さらに強引に、発狂まで。感情が蠢く、すべての感情が停止する、思考がとまる。そのとき、発狂できるはず。まず、実感できるまで、繰り返せ。実 感できるまで、やるしかないのだ。感情を蠢かせるところまで、まず辿り着こう。感情のコントロールなんて、まずは必要ない。過激ですが、そうなのだよ。
感情を言葉にする。YきもMなもイメージで言葉を発しているので、心まで届いてこなかった。狂ったふり、怒ったふり、泣き叫ぶふり、それらはいらない。
続いて、発声。ブリッジ発声、四股からの声の増殖。腹式が弱い。Mなに日々の発声を命令す。(笑)Yきは強いのどをもっているが、もうひとつアンカーのある声にしたいね。声が全然広がっていかないので、腹式の点検。ふたりとも器が小さすぎる。日々、精進ね。
半年毎日続ければ変化しますから。
身体表現。音と身体を共存させる表現として。今回の音は規則的なリズムを刻んでいたせいか、そのリズムを追う。変化が見ていけないので、止める。アドバイ ス。まず、音を聴くこと。没頭していきつつ、音のリズムも掴めること。共存を叶えて、表現にしていきたいので、テクニカルなアドバイスをしてみる。Yき、 リズムの掴み方が弱いが、陶酔はよかった。
求愛とか秋波とかのエチュード、奇妙な部屋のエチュード、観客を巻き込むエチュード。そこに必要なのは、リアリズムしかない。そして、面白く、劇的な発想と劇的な変身と役作り。
ダメをだしながら、連発してみた。少しずつ改善されるが、それはあたしが与えたものであって、つまらない。しかし、奇妙な部屋はつまらなかったな。
だめだ。
懇願のエチュード。6連発。人の心を動かすということの困難さ。反応。必死になること、あがくことをそのまま見せたいのだが。
何をやっても、そんなもの?という中途半端さは、気持ちが悪いと想うのだな。
最後は相関図。今回はふたりだったので、それぞれに別の相手を想定したエチュードにする。5連発するが、なかなか愛情が見えない。愛情が見えないから嫉妬も見えない。哀しみも見えない。おいおい、もっと人を愛してくれ。
以上。
稽古後に食事。世の中の面白い世界の話。これ、有意義なひとときだった。
鍛えにきて下さい。
開かれた稽古場は、ここにあるのだから。
鍛えなければ、決して感情は動きませんよね。感情を自在にコントロールできる役者をみたい。